『サラダでげんき』のサラダ。

 

次男の国語の教科書に『サラダでげんき』というお話がある。

「りっちゃんは、おかあさんが びょうきなので、なにか いいことを してあげたいと おもいました」

という書き出しで始まる文章。

りっちゃんは色々考えた末、「おいしい サラダを つくって あげよう」と思い立ち、冷蔵庫を開けて材料を見て、サラダをつくりはじめます。

「きゅうりを トン トン トン、 キャベツは シャキ シャキ シャキ・・・」

するとそこに、のらねこがのっそり入ってきて「サラダに かつおぶしを入れるといいですよ」とアドバイス。てな具合に、犬やらすずめやら、あり、うま、ほっきょくかい白くまやら、飛行機でアフリカぞうまでやってきて、「ハム」「にんじん」「おさとうを少し」「うみのこんぶ入れろ」最後に「あぶらとしおとす」をかけて、でき上がり!

「りっちゃんの おかあさんは、サラダをたべて、たちまち げんきに なりました」

で結びになる、楽しくて美味しそうなお話。

長男の時も、同じお話が教科書に出ていて、このサラダを親子で一緒に作った。

私自身が子どもの頃から食いしん坊で、こういうお話を読むと、絶対の絶対に作りたくなるタイプだったので、子どもたちの「作りたい!」にも当然!という感じで一緒に。

で、今年の作品(お恥ずかしいけど、クリックで大きくなるので、動物たちのアドバイスの材料、ご覧ください)。

 

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次男とともに、ちゃんと、きゅうりをトントントン、キャベツをシャキシャキシャキって音立てて、お話の順序どおりに仕上げました。

長男の時も思ったけど、このサラダのポイントは昆布と鰹節だと思う!我が家は塩コンブを使います。

和風テイストで、本当に美味しいのだよ!!

 

・・・実はこのサラダ、作ったのは2週間くらい前で、ここに書きたいと思っていたけれど、あまりに忙しい日々で書けなかった。明日は伯父の通夜で、お葬式も不謹慎であるがおもしろそうで(弔辞4人。中日の白井オーナーも!)、そのことが書きたくなるだろうから慌ててUPしました。

ハムみたいな加工食品は、ふだんはあまり食べないようにしてるけど、子どもって本当にハム好きなんだよね。で、よくある伊藤ハムだったかの4パックものだったけど、食べる前に電話してちゃんと肉の産地を確認しました。オランダとかカナダとか、外国産が多いんだね。

キャベツも、愛知・田原産です。食材気をつけつつ、子どもと楽しんでいます。

 

「サラダでげんき」絵本も出ています。 文:角野栄子 絵:長新太の王道でした!

 

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# by hihararara | 2011-11-07 11:11 |

全日本大学駅伝

 

明日の全日本大学駅伝、早稲田の第一区で、豊橋出身のルーキー、山本修平くんが走るそうです。

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写真では、一番後ろの列(3人)の真ん中が修平くん。http://daigaku-ekiden.com/syutsujyou/2011/10/post-52.html

昨日は名古屋で毎年恒例の激励会がありました。

 

そして、文化放送の中継では、大学時代の先輩・松島茂さんが総合実況。http://www.joqr.co.jp/ise2011/index.html
夏には修平くんをインタビューしたそうです(その時コーチの仲井さんの話も出たそう)。☆仲井さん=現在親しくしている大学OB(箱根駅伝優勝経験者)

 
時を超えたつながりに感動して、レース前から胸がいっぱい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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# by hihararara | 2011-11-05 10:11

伯父のこと(追悼)

 

伯父で、東愛知新聞社社長の藤村圭吾が10月31日に亡くなった。書いてくださっていた新城市長さんのブログより。中日新聞でも、訃報が東三河版ではなく県内版に出ていて、伯父もうれしかったと思う。

さいごに会ったのは、10月21日。入院中の病院へお見舞いに行った。たまたまその前日、給食の要望書を教育長にお持ちした時、少しだけ伯父の話にもなった。自分が載った東愛知新聞を持っていき、伯父に見せた。

透析直後の伯父はしんどそうで、両親の用事に合わせて一緒に会いに行ったけれど、長居は控えた。それでも、私たちが投げかける言葉に「うん」とか「おう」とか、いつもの社長らしい相槌を打った。多くの人たちの言葉にうなずいている伯父は、いかにも「聞いてるよ」という感じの力強い相槌を打つ。部下や家族を大らかに包み込むような(いい加減な返事でもあるだろうけど)その声が私は好きだった。

帰り際伯父が元気な声で「まだ死なんでな!」と言った。私も力強く「伯父さんとまだ語りたいことがあるんだからね!」と言って別れた。私にとってはそれが生きている伯父と会うさいごとなった。

 

昨日、電話で母と話した時、母が「伯父さんがあんたに、遺言ってわけじゃないけどさいごに言ったのはね、『ふつうの主婦が一番幸せだぞ』って言葉だったらしいよ」と言った。母とひとしきり、伯父のその言葉を読み解いていたが、後ろにいた父に電話が替わった。

「とし子(←母)はわかってないけど、圭吾が言いたかったのはこういうことだ。『中途半端なことするくらいならふつうの主婦の方がいいぞ』。つまりなあ、小説でもどうせやるなら芥川賞や直木賞目指せって言いたかったんだと俺は思うぞ。お前がたまたま給食のことや、映画祭の記事でも出てたけど、その程度のことやっとるくらいなら、主婦をちゃんとやれ、ってそういう意味だ」

さらに、

「圭吾も結局はローカル新聞社程度で終わったけど、もっと大きなことやれって意味じゃないのか」等々。

その前に母と話した「伯父さんも、色々外でやってきた人生を振り返った時に、ふつうの家庭の幸せが何より大切だとアンタに言いたかったんじゃない?」・・・

すべて両面受けとれるなあと思った。

 

伯父と父は13歳も年が離れていて(さらにその上に他界した長兄がいて)、父は豊橋で生まれ育ったのち、成人後に、子どものなかった渥美の本家に養子として入った。田舎の農家の養子として苦労している父を見ながら育った私は、豊橋で「社長」をしている伯父のかげには、父の苦労があるんだと幼心に思っていた。

農業地帯で生まれ育った私にとって、圭吾は初めて会う実体としての「社長」だった。

しかし、彼やその下の邦香という父の兄たち(父は四兄弟)がローカルマスコミでがんばっているのを見て、「私は絶対全国ネットの仕事をしてやる!」と過剰に思って東京へ出た。地元の親戚たちが伯父たちに就職の世話になっているのを見ながら私は、「絶対に自分で勝負する!」と思っていた。実際に東京でテレビの仕事をし、島根で美術の仕事(作品や展覧会で世界を意識)しながらも、自分なりの表現を模索しようと思えば思うほどふるさとにもう一度帰りたいと思うようになった。でも、「今の私では、まだ帰るわけにはいかない」と踏ん張り、大手出版社の小説新人賞で最終に残った時ようやく、「今なら帰って、住む場所に関係なく全国を意識した活動ができる」と思って戻ってきた。

その後地元で結婚し、出産し、小説を二冊出し、伯父たちの新聞やラジオのお世話にもなった。

 

そして、日本の危機ともいえる状況にある今、地域ごとの結束の必要性を強く感じている。給食の要望書を出すことになった時、今後の地元での活動のためにも、伯父に会っておかなくては、と思った。

私としては初めてローカルの活動を積極的にやりたい、やらなくてはと思ったのが今だった。このリンクの仕方は虫のしらせとでも言うのだろうか。まさか伯父がこんなに早く亡くなるとは思わず、さいごに会った時も、もう一度くらいは会えるだろうと思っていた。

ただ、伯父と熱く地域について議論するタイミングを逸してしまっていたことは明白で、少々悔やんだ。

伯父は病室で「まいったなあ」と言っていた。

きっとまだ生きたくて、精神は強いのに、肉体がいよいよついてこなくなっていて、その「まいったなあ」というのは、病むことへの恐れではなく、忍び寄っている死への恐れだろうと思った。恐れというよりは、時間がないことを突きつけられているという本当に「まいったなあ」という状態。

ベッドサイドには白いノートパソコンがあり、家族のためにのこそうと日記を書いていると言っていた。

伯父は前向きに、人生を畳もうとしていた。

その姿はとても潔いと思った。

生き方は死に方、とよく言われるけれど、私が尊敬する人は、長く病まず、さいごはスパッと天国への階段をのぼっていく。伯父はギリギリまで現役で通した。役にしがみついているのではなく、まかせられなかったのだと思う。

豊橋に嫁ぎ、豊橋で活動する中で、伯父の名前を全面に出すことはしなくとも、ふと助けられることは多々あった。伯父も伯父で、私のことを知らない場所で「早稲田の姪」として語っていたようだ。

一作目の小説がたまたま地元で文学賞をもらった時、表彰式のホテルの会場で、伯父と同席した。公式の場で、親戚を介さずに同じ場に立ったのは初めてのことだった。

私は二人目の臨月で、パンパンのおなかを抱え、壇上でスピーチした。舞台下の伯父は困ったような笑顔だったと思う。

印象的な思い出はいっぱいあるけれど、最近のものと言えば、オランダの美大に留学していた圭吾の孫ちゃん(今ではママ)が帰ってきた時、私も過去に美術の仕事をし、さらに小説を書いている表現者の先輩として圭吾の家で引き合わされたこと。

その時圭吾がさりげなく、美味しいチョコレートケーキを買ってきてくれていた。

そういう心遣いや洒落心がとても素敵な伯父だった。

園遊会に招待されたことを記念して、親族で集まり、伊良湖のホテルでお祝い会をした時、園遊会の引き出物にもらったという虎屋の和菓子を持たせてくれた。

私の初めての子のお見舞いに来ても、平気でスパスパ煙草を吸っていた伯父。長兄が病んだ時、長兄宅に集まって酒を飲んで盛り上がり、終わりに豪快に薬をじゃらじゃら飲んでいた伯父。

結婚式の時、うれしさのため、あまりにキョロキョロと落ち着きのない私を心配し、「昌代を落ち着かせろ」と言っていた伯父。

ハイカラでにぎやかで、いかにもリーダーという存在だった伯父。

 

ローカルをバカにして東京に出た私が今、ローカルの重要性を感じている。

ローカルに捧げながらもどこかで、でっかい夢を私に託そうとしていた伯父。

互いを褒め合うことはなかったけれど、父との電話で、父の中の男と私の中の男が反応し、マスコミ人の伯父としての言葉と、親族としての伯父の言葉をしっかり受けとった。

 

今、東愛知新聞恒例の、ミスみなとと行く海外ツアーの真っ最中で、圭吾の息子(喪主)が同行している。31日に亡くなって、1日から出発。そんな理由で通夜やお葬式は来週。

来週、さみしさよりも、みんなで集う楽しさが勝る会になると思う。

12月のお別れ会も、ぜひとも参加したい。

豊橋のことは私に任せろ、と言うつもりはぜんぜんないけど(笑)、伯父の存在を感じながら、できる範囲で、ローカルのためにがんばろうと思う。

 

 

 
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# by hihararara | 2011-11-03 13:11 | 家族

ポルシェの夜(笑)

 

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(給食の要望書のまとめについては、「いのちと未来を守る会」で新しくブログをつくることにしたので、そちらで改めて書きます)

要望書のことに引き続き、木下さん の講演セッティングや今日から始まったスロータウン映画祭など、超忙しい今だけど、急なお誘いを受けて、大切な友達に会ってきた。

高校時代の同級生のヒサヤ。夏に会った時のブログはこちら

東京のマンションを引き払い、車も売って、今仕事をしているシンガポールに、長いこと行ってしまうそうで、出発前に時間をつくって会った(夫子供が柔道に行っている短時間)。

 

 

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というわけで、ポルポルちゃんの写真、嫌味っぽいけど、明日には売られてしまうってことで思い出写真。

10年前もこれとは別のポルシェに乗せてもらったけど、今回はさらにグレードアップとのことで、オープンカーにもしてもらって、 運転席にも乗せてもらった。

何してんねん、と思うけど、昔からおかしなこと大歓迎な仲。

 

 

 

 

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10年前の彼は外資系大手で働いていて、40歳リタイア説を唱えていた。その後起業し、リタイアしてもいいくらいはがんばった様子だけど、シンガポールでもう一勝負する決意らしい。

震災や原発事故前からシンガポールへ進出していて、今回の決意も3.11前からの流れだけど、このタイミングで海外に拠点を移すのは正しいと思う。と言っても何も彼は自分のことばかり考えているわけではない。

 

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今日の彼との会話で印象的だったのは、「80年代90年代の日本とはもう、海外の受けとめ方が違う。今の子どもたちが世界へ出ていく頃には、日本がアジアの中で一目置かれた国ではなく、例えばカンボジアと変わらないアジアの国の一つという受けとられ方をするだろう」「シンガポールの子どもたちだって、中国は強い国と教えられてるけど、日本のことが特別だなんて思ってない。日本がアジアを牽引していた時代とはもう違うんだ」

悲しいけれど、これが現実。彼が教えてくれる「海外からの目」は、とても勉強になる。

「だから、今の子ども世代が海外に出た時に戸惑わないように、俺ら世代でつくるべき素地があると思う」とのこと。

 

 

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夏に会った時、「これからの日本はどんどんたいへんになっていくけど、子どもにやらせておくといいことは何か?」と尋ねたら「英語は絶対やらせた方がいい」とのことだった。今回さらに、将来を憂うような話を聞き、ならば私は親としてどうしたらいい?と聞いたら、「まーちゃんは、そのままでいいよ」とのこと。

アジアにおける日本の話になる前に、日本が今、自分でものをしっかり考えられる人が少ないのは仕方がないという話をしていた。戦後がむしゃらに働いてきた世代に思想を求めるのは難しい、と。画一化された教育で、出る杭は打たれ、個性の芽を摘まれてきたのだから。日本を変えていけるとしたら、俺たちの子ども世代じゃないか、と。

 

 

確かにその通りだと思う。彼は私がこのサイトを始めた理由の、(生意気ですが)「上質な思想を届けたい」「自分でものを考えられる人を底上げしたい」ということに共感してくれている。それは彼も私もずっと、「出る杭」だったから。

深いことを考えずに原発を推進してきた結果が現況だとして、でも、確かに今、自分でものを考え、子どもたちに伝え続けているお母さんたちを見ると、確実に子どもたち世代は変化していくだろうと感じている。

かつてヨーロッパを旅した時、フランスやドイツで色んな世代と議論した。彼らの思想を聞くと、日本というのは表面上は経済発展した先進国であるけれど、思想の面では大げさに言えば100年遅れているなあと思った。敗戦からがむしゃらに立ち上がったのは本当に本当にすごいことだけど、どうしても欠落してしまった面があると思う。

というわけで、どの国もそうだけど、今の日本は色んな素晴らしさと情けなさから今の姿があるわけで、誰かが悪いとか言っている場合ではなく、この先の日本のために、各々が自覚を持ってがんばらなくちゃ、と思う。

過去感銘を受けたキャッチコピーを借りるのなら、

「今の日本は、日本のせいだ

今の日本は、日本のおかげだ」

(元ネタは「今の私は私のせいだ 今の私は私のおかげだ」)

 

このところ、給食や講演会のことで走り続けて張り詰めていたけれど、ヒサヤとの束の間のドライブとお茶で、明らかに頭の中のいつもと違う部分を使い、リフレッシュできた。

新たな決意を持ってシンガポールへ旅立つ彼を見送りつつ、しんみりした気持ちになった。

同時に、彼との確固たる友情を実感し、うれしかった。

私も彼も、常に変化を求めてしまう。未知なる世界、未知なる自分を覗いてみたくなる。

お互いやってることはその都度変化してるけど、高校時代からの志は、変わってないな、と思った。

がんばれ、ヒサヤ! がんばろう、お互い。

 

 

 

 

 

 
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# by hihararara | 2011-10-29 14:10 | 友達

給食当番の白衣

 

自分が親として、子どもたちの給食のことに関わっているタイミングで、たまたま子どもの給食当番の白衣のことなんだけど・・・

 

自分の子どもを褒めるようなことを書くのは気が引けるけど、長男を見ていていちばん感心するのは、学校で給食当番ではない時も毎日マスクして給食当番の手伝いをしていること。これは、私や先生が言ったことでは全然なく、本人曰く「早く食べたいから」と言っているけど、ただ一人、手伝い続けている息子の人の良さに時に苛立ってしまうくらいに、本当にえらいなあと思う。

さらに、9月からは、転校してしまった男の子の分も給食当番をするようになった。

で、今日、洗濯物を干す時に、いつもと違う白衣が入っていて、一瞬不思議に思った。

というのも、息子が4月から使い続けていた白衣は、手首のゴムなど伸び切っていた部分を私が苦手な裁縫で直してあり、パリッとした状態になっていたのに、今日の白衣は、背中部分のゴムが伸び切って、ヨレヨレの状態になっていたから。

それで「ああそうか、新しく手伝うようになった別のグループの白衣なんだ」と納得したものの、そのゴムの伸び具合があまりにひどくて情けなくて腹が立ってしまって、思わずここに書いている。無関心でいるお母さんたち、もっとちゃんと直そうよ。

私は裁縫苦手です。できることならやりたくない。でも、自分の子どもだけではなく、次の子が使う時にも使いにくい、みっともないような白衣を、知らん顔して回せるその根性が信じられない。

こんな風に書いてしまうのは、今まで何度も何度も直してきたから。

 

私だって、善人ではないし、かなりいい加減だし、このくらいならいいかと思って回すこともあるよ。でも、「いくらなんでもこれは直さなくちゃ」という状態のものが回ってくると、本当に同じ親として情けなくなる。

 

こんな問題、世の中にいっぱい転がっている。

時間がない、面倒くさい、うちの子がやったんじゃない、他の人がやればいい、理由はあるだろうけれど、むしろ、自分の子に着せるのもかわいそうなもの、恥ずかしいようなものを他の子どもに回すなんて私にはできない。

私は私、でいいと思うけど、あまりに度重なるので、一度ここで書きました。

善意の押しつけみたいなことはしたくないし、されるのも嫌だけど、最低限のラインはあると思う。

 

憤慨している私を見て、息子が言った。

「お母さんとオレって、同じことしてるね」

何度も何度も白衣を縫っている姿を、息子はずっと見ていてくれてる。

彼は憤慨することなく、淡々と給食当番を手伝っている。

 

 

 

 

 

 
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# by hihararara | 2011-10-29 01:10 | 小学校