人気ブログランキング | 話題のタグを見る

お知らせ「健やかなこころと身体 健康養生法」

                        

お世話になっている、mixs.の松本先生の講演会のお知らせです
(「広報とよはし」1月15日号より)。

【健やかなこころと身体 健康養生法】

とき:2月11日(祝) 午後1 時30 分~ 4 時30分

ところ:あいトピア(前畑町)

内容:「健康養生法 身体のしくみを知ることからすべてが始まる」をテーマに、
講師の体験談から身体のしくみやその使い方の実践応用法を学びます

講師:松本孝一さん(腹式呼吸と細胞活性ストレッチmixs. 代表)

定員:200 人(申込順)

参加料:500円(資料代)

申し込み:2月10日までに氏名、電話番号をボランティアグループふれあい
鋤本(すきもと)(☎ 46・3267)←市外局番は豊橋 0532

問い合わせ:ボランティアグループふれあい
鋤本、健康増進課(☎39・9133)

********


主催の
 ボランティアグループふれあい さんでは、過去に帯津良一さん(統合医療の第一人者。私も本を読んでいるし、雑誌「クロワッサン」等でもおなじみ)もお招きしています。


この企画の代表の鋤本さんもmixs.の生徒さんで、ちょうど昨日お会いできたのでお話を伺ったところ、講演会について、こんな風に語っていました。

<世の中や、人生や、健康に不安がある方も多いと思うけれど、「大丈夫だよ」ってお伝えしたい>

ホスピスマインドを大切に活動しているそうで、鋤本さん自身も、今まで色々抱えながら乗り越えてこられたようで(mixs.に通うことでも具体的に改善)、人に寄り添う気持ちが強い温かいお方。

講演は3時間ですが、間に休憩が入ったり、長くは感じず、お得な内容だと思います。

お子さん連れもOKで、松本先生も、その日集まる方々に応じてお話ししてくださるので(先生の講演は何度か伺ってるけど、大人に向けても子供に向けても響く!)、ライヴ感満載だと思います。

 

以下、リンクが多いので、興味のあるところだけご覧ください。

☆ふれあいさんのどすごいネット(東三河市民活動情報サイト)告知

http://genki365.net/gnkh02/pub/sheet.php?id=40580

 

☆リンク先多々のPDF

http://dp15270829.lolipop.jp/img/fureai.pdf

 

☆mixs.のことはこのブログでも書かせてもらっていますが、たまたま今日、私のインタビューもUPされた「 mixs.tube 」(ご案内動画集・・・音が出ます)
https://www.youtube.com/channel/UCGtRrQAx6ePv0X1ugNY835Q/featured

********

健康を扱うものは、ともすれば宗教っぽく思われますが、mixs.はそうではないので、ご安心ください(笑)

多種多様な方(病気に悩む方、お仕事のパフォーマンスを向上させたい方(経済界もお店やさんもスポーツ、文化芸術方面も)が通っています。

とにかく、知れば知るほどホットです。mixs.も、豊橋も!

☆子供がいると、休みに出かけるのはたいへんかと思うので(子連れもOKとはいえ)、興味を持ってくれそうな方によかったらお知らせください。

 

 

 

 

 

 
# by hihararara | 2015-01-15 12:01 | 身体

さくらシンポジウム

 

Facebook1月9日掲載分

【情報解禁】

少し先ですが、4月2日、3日、桜の季節のシンポジウムのご案内。

http://www.sakurasympo.info/記念講演/

「全国さくらシンポジウム in 奥三河」の記念講演として、6月公開の映画『あん』の監督・河瀬直美さんと『あん』原作者・ドリアン助川さんが対談を行います。

昨日新城穂積市長とドリアンさんとやりとりし、朝、私がドリアンさんと知り合うきっかけとなった、あべみちこねえさんに報告し、先ほど、観光会社の方とも電話で話しました。観光会社の担当の方から「宣伝よろしく」って感じだったので今書いています(とても謙虚な方で、私の方が「宣伝した方がいいですか?」って聞いた上での流れです)。

遠方から宿泊で来られる方も多数いますが、シンポジウムやお二人の対談のみ参加でもOKだそうです。
会場は1000席くらいあり、空いていれば当日も入れるそうですが、確実に席を確保したい場合は、事前申し込み(このHP内の参加申込書をプリントアウトして、名前等記入してFAX)をお願いしたいそうです。
私は豊橋駅~新城のシャトルバスもお願いしました。
素晴らしいシンポジウムなので、無料というのが申し訳ないくらい。 なので、遠方から是非お泊まりでいらしてください(私は帰るのだけど・・・笑)

このイベント、個人的なご縁(河瀬さん、ドリアンさん、新城市長)だけでもすでに感動してるのに、観光会社の方から聞いた背景がまた「神がかって」いて(その方の弁)、この午前中は放心状態です。  桜の引力なのか魔力なのか・・・とにかく、行く前からパワーを感じています。 シンポジウムや映画の前に、桜が印象的に描かれている小説『あん』、おすすめです。

☆小説『あん』について書いたブログ http://www.l-t-m.net/blog01/?p=3228

☆穂積市長にお伝えし、すぐに読んで書いてくださったブログ http://tomako.dosugoi.net/e495387.html

映画制作発表時のブログ  http://tomako.dosugoi.net/e715229.html

 

公表前から、その都度、穂積さんやドリアンさんから教えていただいてました(その律義さに感動)。楽しみです!

 

 

 

 

 
# by hihararara | 2015-01-14 01:01 | お知らせ

続・入試のこと(前編)

 

前回書いたことに派生する話。

自分がまだホヤホヤのように感じてしまう記憶だけれど、実は友達のお子さんや自分の子供にも生きてくる話なので改めて書かせてもらいます。

たぶん前にも過去のブログで書いたことあると思うけれど、facebookで広がったお友達にも向けて・・・

 

私の夢の始まりは、当時「どうしても東京へ行きたい!」ということだった。

家庭の経済状況から、最初は国公立大学しか無理で、最初の志望校は東京外国語大学だった(渥美半島から東京へ出たくて、でも、国公立でないと親が行かせてくれないから東京外語のマイナーな語学科を狙うという発想は光浦靖子さんとまるっきり同じ!)。

でも、高校2年生から3年生になる前の春休みに、教育実習に来てくれたことで知り合った先生(船橋に住む女子大生)の家に泊めてもらいながら、友達と大学見学に出かけ、足を運んだ東京外国語大学は想像以上に小ぢんまりとしていて、私の中のトーキョーとイメージが違い、結局ミーハー心を捨てきれない私は、もう一度志望校を考え直した。

当時はマスコミで働きたいとか、個性的な人たちに出会いたい、母校のスポーツを応援したいと思っていたので、どうしても早稲田大学に行きたいと思い、親もまさか受かるとは思わないので、「早稲田や慶応とかの名前の通ったところならいいよ」と言い、日本育英会の予約奨学生の面接も受けておいて、「どこでもいいから早稲田に入る」というのを第一の目標とした。

例年、南高校には、指定校推薦と言って、学内で推薦されれば、ほぼ100%合格できる枠があり(それは、入試実績によるもので、南高校から一定数の合格者数があったため、有名私大の枠がたくさんあった。早稲田、慶応、学習院、中央など関東の大学の他に関西も多数・・・)、早稲田大学も、例年、第一文学部や商学部、理工学部の三つは当然のようにあった。

私は、一般入試で合格できるような実力はないものの、各テストの一夜漬けは得意だったので評定平均は4.5近くあり、陸上部において、県大会程度の成績はいくつかあって、学内であれば、第一希望の文学部の代表?にはきっと選ばれると思っていた。生々しい話を言えば、一人ライバルになりそうな男子はいたけれど、彼は実力も大いにある人で(実際に、のちに一般入試で余裕で慶応大学の文学部に合格した)、たまたまの流れで指定校推薦の話を二人でした時に、「俺は一般入試で合格できるから、早稲田の一文は譲るよ」と言ってくれていた(笑)

ところが・・・

当然あるとばかり思っていた早稲田の指定校推薦の枠が、私たちが3年生になると、理工学部だけを残して、文系の二学部とも消えてしまった。

かなりショックだった。

何がショックって、一般入試の前に挑戦できると思っていた「チャンス」が二枠も一気に消えてしまったこと。

もちろん一般入試も受けるつもりで準備をしていたけれど、推薦を受けようと思ったのには理由がいくつかあった。

それは、当時の受験戦争に疑問を感じていたこと。

私たちは第二次ベビーブームと呼ばれる世代で、実際に一つ年下の人数が最大で、私たちの代は受験も、のちの就職も(それは景気の問題も大だけど)たいへんだった。

自分が望んで入った進学校だったけれど、学問のおもしろさを感じる以前の暗記暗記の毎日。

偏差値や順位を気にする日々。

家は裕福じゃないのに、田舎から豊橋の進学校に高い交通費を払って行かせてもらっていたので、勝手に背負っていたことも多かったと思う。

親からは勉強や進学に関して何もプレッシャーをかけられていなかったけど、私の希望を叶えようとして、懸命に働いてくれている親に、結果をつくることで恩返しをしたかった。

どうしても早稲田と思っていた私は、だからと言って慶応や学習院の指定校推薦に方向転換するつもりはなく、気持ちを入れ替えて一般入試の勉強をしようと思った。

そのタイミングで夏休みに入り、まだモヤモヤが続いていた私は、思い切って、早稲田の総長へお手紙を書くことにした。

自分の実力のなさで合格できないのならどうしようもないけれど、挑戦するチャンスが自分とは関係ないところで消されてしまったことが悔しくて、その気持ちを知ってもらいたかった。

自分に力はあっただろうに、自分以外の力で希望が叶えられなかったこと・・・それは二度目の経験だった。

 

さかのぼること、高校入試。それもまた、仕方ないとわかっていたけれど、学校群制度の入試を受けて、私は行きたい方の高校へは行けなかった。合格したのに大泣きした(別に根に持ってるわけじゃないです。今回話の流れで書いています)。

自分の力とは別のところで、進路が決められてしまうような(閉ざされてしまうような)悔しさ・・・

社会や大人たちが考えた教育制度に対する憤りを、早稲田の総長に聞いてもらおうと思った。

 

夏休みの受験勉強の前に、私は、丁寧な手書きのお手紙を何枚も万年筆で早稲田の総長に向けて書いてお送りした。

大意としてはこんな感じ・・・

①私は早稲田大学にどうしても行きたい、受験戦争や偏差値地獄と呼ばれる世の風潮に疑問を感じており、それらへの反発の意味でも一度のペーパーテストだけではなく、高校生活全体を評価してもらえるような指定校推薦に挑戦したかったが、枠が消えてしまい、ショックだった。

②だから枠を与えてほしいという意味ではなく、突然消えてしまったことで、このように(不条理を)感じている生徒もいることを、ただただ知っていただきたい。

③それでも、どうしても早稲田に行きたいからなんとかして入ります。

(注:一般入試をがんばって受けた方にとっては、気に障る表現もあるかもですが、高校3年生の稚拙な考えなのでおゆるしください)

 

自分の心に対する区切りのつもりだった。

返事なんて期待してなかった。

 

それが、夏休みが終わる頃、なんと、早稲田大学から返事が来たのだった。

パンフレットが2冊同封された入試課長と名乗る方からの私宛のお手紙・・・

 

そのお手紙には、「総長宛のお手紙の内容が入試に関することだったので私に回って来た」という経緯から始まり、指定校推薦の仕組みに関する事務的な説明と、一般入試の前に、社会科学部と、今年からは教育学部で自己推薦入試が始まるから是非挑戦してみてほしい、ということが書いてあり、このように結んであった。

「お手紙から推測するに、藤村さんはかなりの努力家だと思います。是非合格して、来春早稲田のキャンパスでお会いできることを楽しみにしています。

まずは高校生活最後の夏休みを楽しんでください」

 

前回のブログに書いた進路指導の先生のように、「こんな手紙を書く暇があったら勉強しなさい!」とでも言われそうなところ(そういう世の中の空気感への精一杯の抵抗だったのだと思う)、私は <高校生活最後の夏休みを楽しんでください> という一文に心から感動した。

心から泣いた。

それで、ますます、絶対に早稲田に行こう!!!と心を決めたのだった。

 

こういう流れで、夏休みが明けた10月、社会科学部の自己推薦入試に挑戦したのでした。

もちろん、自己推薦の合否とこのお手紙は関係なく(あるのかも、とも当時はうっすら思ったけれど、のちに入試に関わった教授などと話しても関係なかったと思う)、かろうじて私は早稲田に合格できた。本当に、かろうじて・・・

一次試験(活動記録報告書+志望理由書による選考)を通過したことがまずかなりの驚きで、二次試験は大学に赴いての面接と小論文。

小論文は時間ぎりぎりまでなんとか升目を埋めることに集中し、面接は、行きたい大学の先生方と目と目を合わせて話ができること自体が幸せで楽しかった。

 

この話、すでに相当長いけど、まだ続きます・・・

☆自己推薦なんて、全国大会で実績のある受験者たちからしたら、悠々合格できるようなもので、実際のんびりした子たちが多く、彼らが読むと恥ずかしいけど、私の場合として記録しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
# by hihararara | 2015-01-06 06:01 | 感動

続・入試のこと(後編)

 

第一希望の大学に合格でき、ウキウキだった私は、入学後すぐに、お手紙をくださった入試課長さんにご挨拶に行こうと思った。

「来春早稲田のキャンパスでお会いできることを楽しみにしています」と書いてくださっていた言葉が力になったので、「キャンパスで是非お会いしに行かなくては」と思ったのだった。

ところが、Hさんの担当の課が変わってしまっていたり、お電話を入れた時は出張中だったりで、なかなかタイミングが合わなかった。

 

そうこうするうちに、楽しい学生生活に夢中になり、ご挨拶はしないまま、4年生に・・・

でも、卒業する前までには何とかして連絡したいと思い、どこかの課に電話して回され回され、ようやく、ご本人のHさんと電話でお話しすることができた。

Hさんにお礼をお伝えしたものの、4年も前のことだし、ピンと来ていない様子だった。でも、お礼を言えたことで満足し、電話を切った。

 

そして迎えた卒業式。

式典終了後、学部の事務所に卒業証書を受け取りに行ったところ、私の時だけ、事務員の方が、「藤村さん、預かっているものがあります」と・・・。

 

見ると、小さな贈り物だった。

封を開けると、なんとHさんからの卒業祝いのプレゼントとお手紙が・・・

お手紙にはだいたいこのようなことが書いてあった。

「お電話の時にはすぐにわからなかったのですが、愛知の方ですね。思い出しました。

入試に関するお手紙は毎年たくさん届きますが、入学後に実際に連絡をしてきてくれたのは藤村さんが初めてです。

仕事の一環としてやったことなのに、そのように言ってもらえて、私の方こそ励みになりました。

私へのお礼の気持ちは、今後社会に出た時に、社会の中で返していってください」

そして、プレゼントは、一冊の小さな国語辞典だった。

「すでにお持ちかとは思いますが、社会に出てからの方がよく使います。よかったら役立ててください」

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

その後社会に出て何年か経ち、私は実際に、その国語辞典を引き引き、小説を書き上げた。

その小説が新人賞で最終候補作となり、のちに出版できた時、私はまた、Hさんにお電話で報告した。ドキドキしながら・・・

 

そのHさんとは、今も年に一度、年賀状のやりとりをしています。

今は退職されたけれど、在職中は、ハンカチ王子の頃の早稲田実業に勤務されていたり、早稲田周辺の声を聞かせてくれました。私の大学時代のサークルの先輩で大学職員になってる方に、のちにfacebookでご縁が復活した時に、Hさんのお名前を出したら、「お世話になった方だ」と知っていて、上記のエピソードをお伝えしたこともありました。

 

 

多感だった・・

と言えばそれまでかもしれないけれど、

多感な時期に勇気や感動を与えてくれた大人の存在は、ずっとずっと忘れません。

 

今もバカみたいだけど、書きながら思い出して泣いています。

大人のお仕事の一環が、一受験生にとっては一筋の光であったことは間違いない。

そこには、誠実さや心があった。

 

私は決して強気強気で夢を叶えてきたわけではなく、震えるような思いで、その都度超えてきました。

 

前々回(「続・同窓会」)のブログにいただいたコメントのご返事で書いたことの一部より・・・

<夢を見つけることと好きなことを見つけることって始まりは似てて、夢(好きなこと)を見つけること、夢に向かって努力すること、その努力を継続すること、この三つが大切だと思います。そして、いちばん難しいのが努力を継続すること・・・それは今も続いています。>

これで言うのなら、私の夢や好きの始まりは、どうしても東京へ行きたい、どうしても早稲田に行きたい、ってことだったと思う。

どういう直感だったのか、どういう火が灯ったのかわからないけれど、好きってところや第一希望ってところへ実際に行き、過ごした時間はその時も、その後の人生でも、ずっと自分を温め続けてくれる。

泥臭くて田舎っぽい憧れだったかもしれないけれど、早稲田へ行って、やっぱりよかったと、当時よりも今、一層思っています。

いつか息子らにも、どうしても!という道、始まりのきらめきを見つけ出してほしいなあと思います。

 

冷たさや苦しさが先立ちそうな受験期に、私を支えてくれたのは人の心だったし、その後の心の通い合いも、今のご縁も、ありがたく思う。

運だけじゃないし、縁だけじゃないし、つかみとるのは自分の意志や希望だと思う。

 

あの頃、Hさんが繰り返し言っていた、「私に返してくれなくていいから、社会に出てからお返ししていって」という言葉。

この言葉は、社会人としての指針となっている。

ついに一度もお会いしてないけれど、私の人生の中での忘れられない出会いの一つです。そんな出会いもあった、母校に感謝しています。

 

 

【書き終えての補足・・・友達と語る中で】

< 私が色々を夢のように遠く感じてしまったのは、田舎で生まれ育ったことに加えて、結局は親自体が持っていた学歴とか都会とか職業へのコンプレックスだったと思う(時代背景もあってやむを得ないけど)。
だから、自分自身はコンプレックスを持たない状態の自分をつくってフラットになってから子育てに入りたかったし、世の中に本当は高低や優劣なんてないんだと思える。しかしまあ、その分我が子は(特に長男)ハングリー精神に欠けると思うけれど、フラットな状態で豊かな心で人生を歩んでいってほしいんだよね。>

 

 

 

 

 

 
# by hihararara | 2015-01-06 06:01 | 感動

続・同窓会

 

昨日の同窓会での私のお役目は「先生係」で(それはお隣に数学の先生がいらっしゃるから拝命)、たまたま早く到着したある先生にご挨拶に伺った時のこと。

その先生は化学の先生(全体の進路指導担当)で、在学中は一度しか接点がなかった。

その一度というのがとても印象的な場面で、私にとってはそれしか先生にお伝えできるネタがないので(笑)、流れでお話しした。

「先生、私は、早稲田に自己推薦入試で入ったんですけど、進路指導室に願書を受け取りに行ったら、先生に『絶対受からないからやめておけ』と言われました(その時の生徒です、と言えばなんとなく思い出してもらえるかと思って、和やかに伝えた)」

そうしたら、憶えていないかと思ったら、なんと先生はしっかり憶えていて、

「後にも先にも、南高校で自己推薦で合格したのは一人しかいなかったから、驚いた」

と、おっしゃった。

(自己推薦というのは、のちにAO入試とかと呼ばれて増えていったから、一人しかいなかったってのは、先生の在任中なのか、早稲田に関してなのかはわからないけど)

「今でもどうして受かったのかわからん!」

と、先生は笑いながらおっしゃり(けっこうひどいこと言われてるようだけど平気)、確かに当時、担任の先生にも「99%無理だ」とか「(当時同じような一芸入試で立命館大学に合格が決まった)おしん(小林綾子)じゃなきゃダメなんだぞ!」と言われたので、その反応は無理もないのでした。挙句その担任の先生(今も仲良しなのでご心配なく)に、合格した時に報告に行ったら「先生受かりました!」「どこに??」という反応だった(笑)

自己推薦入試と言うと、インターハイに出たとか、芸能人だとか(笑)、全国レベルの活躍を見せなくちゃ無理だとは私も思っていたし、実際に、同期の合格者は、甲子園やインターハイや文化系でも全国レベルのコンクール入賞者ばかりで、私自身(県大会程度の陸上の成績と、英検2級と書道とか3年間お弁当作ったとかその他色々アピール)も「なぜ受かったのかわからない」。。。
(いちおう進学校において、評定平均が出願資格のギリギリ4.5をクリアしていたこと(実に4.46でヒヤヒヤ)や、志望理由書の作文や、2次の面接や小論文も加味されてるとは思うけれど・・・)

ただ、その進路指導室で、化学の実験用の白衣を着た先生から、「絶対受からないから、こういうことに時間を使うより、一般入試用の受験勉強をしっかりやりなさい」と言われたのは正直ショックだった。
でもそこで、「そうですよね、じゃあやめます」とはならない私は、「やってみなけりゃわからない」と思って、挑戦したのだった。

結果、合格し、それをきっかけに、私という存在を知ってくれた先生たちもいた。

*補足しておくと、決して順調に受かったわけではないし、そもそも、本来は一般入試の前に、早稲田の指定校推薦を受けたかったのだけど、例年あった文系の2学部が両方とも私たちの代で急に消えてしまって、それでもどうしても行きたかったので挑戦したのでした。実家は東京の私大に無理なく行けるような経済力ではなくて、奨学金とバイトでなんとか通わせてもらいました。

 

何が書きたいかと言うと(笑)、高校3年生の時に、進学校の嫌な部分を感じさせられた先生(私の実績を思えば至極現実的な対応で、むしろ思いやりだったと思う)と、卒業後20年以上経って再会し、あの時のモヤモヤを伝えたところ、私にとっては、そのときのことを先生が憶えていてくれただけで、なんだか感激で、後にも先にも一人しかいない、と言われ、胸がすーっとした。

もちろん、匙加減?は大切だけど(口は災いの元でもあるし)、

「やってみなくちゃわからない」

「話してみるものだ」

ってのは、昔も今も私を支えていて、その辺りの見極め(やってみても無理かどうか、とか、話さない方がいい)ってのは17歳だった時の自分より、41歳の今の方が年月や経験分わかるようになっていて、あの時少なからずショックを受けた高校生の私に「のちに合格もできたし、気も晴れたよ」って伝えてやりたい・・・

なーんて、あの頃の進路に関する不安を思い出して、今一瞬涙出た(笑)

今後、子供にも伝えたいけど、努力はもちろん最重要な上で、

「なんとかなるさ~~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
# by hihararara | 2015-01-03 08:01 | 感動