祈・天下太平

 

2012 お正月

 

c0189426_06254786.jpg


担任の先生の年賀状へのお返事。

ダウンタウンのハマちゃんの絵みたいに、いったいどうなることかと思った次男の龍は、最初牛みたいだったのに、伸ばして伸ばしてそれなりに迫力ある龍?となった。

 

 

c0189426_06254846.jpg


母のおせちの一部(昔から作るの母、詰めるの娘の役目・・・ちなみにこれは私が詰めたけど妹の方がうまい)。

材料気になったけど、母が無意識に買ってる割には山口産とか長崎産で安心した。

 

 

 

c0189426_06254852.jpg


これは地ダコ。

スーパーの鮮魚売り場に入っていって(母が)、交渉で買ったなんと600円!

別に値切ったわけじゃないです。足の先が切れてて成形としてはよくないそうだけど、じゅうぶん。

 

 

c0189426_06254932.jpg


玄関(下駄箱の上)の正月花。

玄関正面は「おもと」

 

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06254957.jpg


修平くんと明治とのデッドヒート。

 

 

 

 

c0189426_06254975.jpg


独走・圧巻の東洋。

 

 

 

 

c0189426_06255095.jpg


柏原くんガッツポーズ。

区間新、区間新、区間賞、区間新の4年間は本当に立派。驚異的な記録を4年も出し続けられるって本当にすごいこと。

 

 

 

c0189426_06255041.jpg
ゴール手前で明治を抜き返した修平くんも立派!!

区間3位というのも素晴らしいです。

大会後の報告会でもOBさんたち修平くん褒めていたそう。瀬古さんも「早稲田は山登りができたことが大きかったですね」と言っていた。

来年も熾烈、、と同時に、そんなに過熱しなくても~。箱根走れるだけでみなさん素晴らしいと思う。私は、テレビ中継見ながら、文化放送のラジオ中継をCBC通して聴き、先輩の松島さんのメイン実況、そして、同期の飯塚くんの小田原中継所レポート(ちょうど修平くんが出発する場所)を聴けて、感動した。

 

c0189426_06255141.jpg


コマ回ししてる兄弟。

真冬に彼らの希望ですっげー坊主。

 

 

 

c0189426_06255171.jpg
私の母校の小学校で遊ぶ。

柵が閉まっていたのだけど、脇道からくぐり抜けて中へ。

息子たちの小学校だったらできないことも、母校なら大きな顔してできる不思議。

 

 

c0189426_06255284.jpg


私たちが寝た和室に飾られていた母の花。

 

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06255228.jpg


息子たちが大好きなジェラート屋・バロックにて。

ちなみにこのHPも、弟の作品。

http://sg-baroque.com/

 

 

c0189426_06255397.jpg


いつも大輪の薔薇が飾ってある。

美味しいし、心地よい空間です。

私は「渥美の森」というジェラートが好きです。

 

 

 

 

 

 

c0189426_06255323.jpg


やはり見たくなる伊良湖の海。

 

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06255451.jpg


天下太平でありますように・・・

 

 

 

 

c0189426_06255400.jpg


 

早稲田の5区山登り、山本修平くんについて。

世の中の空気的にブログには書けなかったけれど、震災直後の3月14日、地元の早稲田OB会(東三河稲門会)の理事会で、修平くんの壮行会が行われた。

私は理事ではないので出席資格はなかったけれど、中学の頃から注目していた彼が東京へ出発する前に一目お会いしたいと思い、理事会後にホテルの会場に駆けつけた。

修平くんのコーチ(地元のランニングクラブ主宰)は、いつも飲んでるOBさんで、自身、箱根駅伝を走り優勝も経験している。その人の仲介で修平くんにお会いした。

初めて間近で見る修平くんは、ご両親と一緒だったこともあるけれど、あどけなく可愛らしく見えた。そして驚きだったのは、自分としては修平くんサイドに近いと思っていたのに、お若いご両親を見て、「げげっ、私は完全に親サイドなんだなあ」と実感させられたこと。

そんな修平くんが早稲田に進み、競走部の厳しい練習をほとんど主力でこなし、箱根駅伝の往路クライマックス5区山登りの区間を任せられたというのは本当にすごいことだなあと思った。

どんな結果もあり得る初めての箱根で、柏原くんは別格だとしても、走り切ったというのは素晴らしい。そして、柏原くんの凄さを最も実感したのが一年生の修平くんだったと思う。

・・・と、幼い頃から見てきた箱根駅伝を今年も実家で堪能しつつ(私の箱根キチガイは親も子も諦めている)、終了後、複雑な気持ちにもなる。

東洋は本当にスーパースペシャルだったと思うけれど、全体として、選手集めだとか入試だとか構造上の問題も感じるし(オリンピックの商業化に似たイメージ)、日本国内のひとつの学生駅伝があまりに頂点のようになってしまっては、もったいない。昔のように箱根は通過点として、さらに世界へ羽ばたくような選手が出てほしいです。

一生懸命に走る選手の姿に感動して涙を流しつつ、同時に、今や放射能の国ニッポンで、ゴール後倒れ込んでいる選手を見て、「日本って変な国だなあ」と思った。

外国人はハコネエキデンをどう見るんだろう。

 

いつも読んでるブログの中で、1月1日のメッセージにグッときたもの。

木下黄太さんの1月1日のブログ。

(年末の夫の友達との話で、放射性物質がどこまで危険かの話になり、その友達はどちらかと言えば楽観論で、彼のことも信頼しているのでそんなものかな~とも受けとめつつ、一方で、色んな事象や情報が集まっている木下さんの言うことはやはり正しいと私は思う)

http://bit.ly/sthQMl

須藤元気さんの1月1日のブログ。

(このサイトの「About」でも書いたように、去年私は須藤さんにハマり、彼が2012年を特別視していることにも共感していた。私も、三次元ではなく四次元まで自然なものとして想像できる人とそうでない人との差が広がる今年だと思う)

http://crnavi.jp/sudogenki/blog/2012/01/post_174.html

 

 

 

 
[PR]
# by hihararara | 2012-01-05 00:01 | 日記

2012

 

謹賀新年

いただいてうれしかった言葉を、みなさまにもお届けします。

I wish you a very bright new year, and all your dreams come true.

 

言う人は言ってるように、2012年は私も特別な年になると思っています。

地球の声を聴いて、すべてのいのちに思いやりを持って過ごしたいです。

よい年になりますように☆

 

*******

 

何度か書いてる地元出身の山本修平くん、箱根駅伝、5区山登りの予定だそうです。

私も勝手にドキドキです。

☆早稲田スポーツ新聞会 http://www.wasedasports.com/field/111229.php

☆早稲田スポーツ新聞会”譲れぬ想い ALL FOR HAKONE” http://www.wasedasports.com/field/all_for/top.php

☆早稲田ウィークリー http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2011b/1266/266a.html

☆早稲田大学競走部 http://www.waseda-ac.org/
今日のニューイヤー駅伝(TBS)も、箱根駅伝も、親しい先輩(文化放送)がメイン実況。それもまたおもしろいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
[PR]
# by hihararara | 2012-01-01 06:01

2011さようなら

 

c0189426_06254556.jpg
大晦日。

昨日は、実家に餅つきに出かけた。

これは実家の玄関の下駄箱。

うちの母は、ずっと生け花をやってきて、私が大学の頃、東京でフラワーアレンジメントの講座にも通い、今は自宅で花を教えている。

農家の嫁だけで終わりたくない、と「花」にしがみつくようにして生きてきた人。自分の道を守り貫き、続ける強さは、母から学んだ。

幼い頃から家には花が絶えず飾られていた。

渥美半島が花の産地ということもあるけれど、家の中に生花を置くことの大切さは大人になった今の方が強く感じる。

生花は周辺の「気」を変える。魔除けであり、幸運を呼ぶものだと実感する。

という私が今の家でいつも花を飾っているかと言えばそういうことはなく、ただ、実家に行くたびに、母はエライなあって思う。

 

c0189426_06254685.jpg


じいじとばあばと孫の手によるあんこもち作り。

一番不器用な父は、おもちの形をととのえながら「プリウス」と言い、みんなの失笑を買っていた!

 

 

 

 

c0189426_06254686.jpg


きったない花用の部屋で、母がちゃちゃっと生けてくれたお正月用の花。

 

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06254637.jpg


そのほかに、弟の奥さん(ピアノの先生)が生徒さんの発表会でいただいた洋花。

紫のトルコキキョウと大きな薔薇!!

花が集まる家はいいなあと思う。

 

 

 

 

 

 

夜は、毎年恒例の夫の高校時代の仲間たちが集まっての忘年会。

息子たちも赤ん坊の頃から参加。

昨日は兄弟ともすっかり友達という気分で加わり、乾杯したり、一緒にドンジャラや野球盤やってもらったりご満悦だった。

うれしかったのは、現在45歳の彼らが、自然と原発や日本の未来について熱く語っていたこと。

国税専門官、企業の技術者二人、土木設計の建築士、いつもはそこに医者も加わるのだけど、彼らの会話で印象的だった言葉をピックアップすると・・・

「法学的には」「技術者として」「ポピュリズム」「小選挙区制」、、、

これらの言葉は女友達と話している時には出てこない言葉。

私は男たちの社会的な会話が好きだし、しかし、女子供やいのちを忘れてもらっちゃ困るよ!としっかり合いの手を入れる。

女が必死に子供を守ろうとするように、男たちは各々の社会における使命を果たそうとがんばっている。

いつも子供から絶大な人気を誇るMくんは、東京の某携帯電話会社で働いていて、震災直後、自衛隊のセスナ機に乗せられ、現地で電話の復旧のため尽力したらしい。その時撮影してきた写真を見せてもらった。津波で700m移動してしまった事務所や瓦礫の山、浸水したという家の写真があった。

ふだん「ゆるい」と自称しているMくんだけど「今日俺は、原発や浜岡をどう思うかみんなに聞こうと思って来た」と言っていた。

私は、大好きな夫の友達(謙遜ではなく夫は素敵じゃないけど、友達は本当に素敵)が、現在日本が直面している問題について、避けることなく、彼らの専門知識を駆使しながら語り合っている姿がうれしかった。

今回、「想定外」のことが起こり、今後子供たちは今回の想定外は想定内として考えていくだろう、そうやって社会は発展してきたのだろうと話しつつ、それは18世紀に入ってからの考えだろうけどね、と産業革命にも触れる。

人類が自らの歩み方について、転換を求められていることに間違いはないと思う。

 

毎度のことながら、夫が早々に寝てしまい、2時半まで残った友達二人と色んな話をした。その二人は私の『赤土に咲くダリア』も読んでくれている(夫は読んでいない小説を夫の親友が読んでくれているというのがおもしろい)。10年かかって築いてきた彼らと私との関係性により、今では夫の愚痴も聞いてもらえるありがたい存在。高校時代からの夫を知っている分、私が話すことにもすぐ共感してもらえる強い味方。

しみじみありがたいなあと思った。

 

*******

そんなわけで、2011年最後の日は、寝不足の状態でヘロヘロ過ごした。

でも、ふとしたお誘いにはノコノコ出かけた。会いたい人にはなんとしてでも会う!それが私の活力。

紅白の椎名林檎が楽しみ♪

 

今年は、本当に本当にびっくりするような震災が起こり、復興はたいへん、原発事故の影響もまだまだ続く。

このサイトを新しく立ち上げ、秋には「いのちと未来を守る会」を結成した。何かが大きく動き出している。

そして再び小説を書き始めた。

明日からの2012年に、ワクワクしている。

 

今年お世話になったみなさま、ありがとうございました。

来年も、ますますよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 
[PR]
# by hihararara | 2011-12-31 11:12 | 生活

原爆ドーム 『ひろしまのピカ』

 

今年のブログ、今年のうちに!!

 

8月、家族で広島~四国を旅した。

その時のことは前のブログに書いたけど、ひとつ、原爆ドームについては改めて書こうと保留にしていた。

旅行は3.11以前に行き先を決めていたけれど、結果的に原発事故の起こったその年に家族で原爆ドーム~平和記念資料館を見学できたのは大きかった。

 

c0189426_06254458.jpg


旅の初日に向かった原爆ドーム。

その場所に着き、ドームの付近に立った時からしばらくの間、私は涙を流していた。

不思議な空気に包まれて、涙が止まらないのだ。

私の感受性によるものなのか霊感によるものなのかはわからないけど、とにかく、その一帯に漂う空気が明らかに違うように感じた。

原爆投下後の凄惨な状況に加え、負の記念碑としてのこされている原爆ドームを訪ねる人たちの思いがひとまとめになって、異様な空気が蓄積されていたのだと思う。

原爆ドームと平和記念公園の間には大きな川がある。その川に水を求めて逃げ込んだ人たちの姿を想像すると余計に苦しくなった。

ちなみに、藤代冥砂さんのブログで原爆ドームに触れた回。同じ、と思い、思わずコメント入れた。

 

平和記念資料館では、子供たちが退屈するかと思ったら、思いのほか二人とも真剣だった。

「放射能」という言葉が、過去の原爆や遠い国のことではなく、自分の国に降りかかっている今が悔しかった。

次男はしきりに「こわい~~」と言っていた。

真夏に天然のオバケ屋敷に入ったような状態だった。

一通り興味深く見学した最後に、売店で「ひろしまのピカ」という絵本を買った。

 

c0189426_06254477.jpg


この本は、私が小学校3年生の時の夏休みの課題図書で、読書感想文を書いた思い出の本。

買ったその夜、ホテルで子供たちに読み聞かせながら、号泣した。

小学校3年生で読んだ時は、私は主人公の7歳の「みいちゃん」の気持ちで読んだ。

30年後のこの夏は、「みいちゃんのお母さん」の気持ちになった。

けがをしたお父さんを背負い、みいちゃんを連れて火から逃げ、走り続けたお母さん。

お母さんのどこにそんな力があったのか・・・。

最後の場面では、7歳の時のまま大きくならないみいちゃんに、白髪が生えたお母さんがこう言う。「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」

それを読んで、本当にその通りだと思った。

原子爆弾も、原子力発電所も、人がつくるから存在するのであって、そもそも人がつくらなければいいのに、と思った。

改めて読んだ「あと書き」で、『ひろしまのピカ』は、作者が出会ったおばさんが聞かせてくれた体験談をもとに描かれたものだと知った。

<おばさんは涙をしたたらせ、しゃくりあげながら子どもの手をひき、傷ついたご主人を背おって逃げまどったひろしまのピカの時のことを語りつづけました。人々はこっくりして、おばさんの話を聞きました。泣いている人もいました。>

 

その絵本の中ではたくさんの人が死に、たくさんの動物も死に、とにかく悲惨で、思えば私はその本を、読書感想文のために読んだけど、その後すすんで開こうとはしなかったんだと思う。

原爆ドームの体験で、私は夫に「子供たちを守って、大きくできるようにがんばろう」と伝えた。夫も納得しているようだった。

 

その旅から戻った翌日がちょうど8月6日で、少し前に訪ねた場所に人がいっぱい集まっている映像をニュースで見た。

また、広島のテレビ局でキャスターをしている後輩くんが「ゆず」と出ている特番も見た。

暑い暑い広島の思い出とともに、原爆ドームの体験は、私たち家族に深く残った。

 

『ひろしまのピカ』を読んだ翌年、私は『アイリーンのとうろう』も読んだ。

 

c0189426_06254539.jpg


画像がこれしかないけど、この本もこわいよ。

これについては、前ブログで書いたことがあり(2008年)、今では検索のトップに出てくる。

 

『アイリーンのとうろう』

 

その頃の読書体験のおかげで、私は放射能=こわいと学んでいる(すり込まれている)ように思う。

 

 

 

実は一昨日、市長との面談に参加した。

冬休みなので子連れで・・・。

次男はのびのびシェーッのポーズで市長との写真におさまった。

残念ながら市長は放射能の恐怖をあまり感じていないように見えた。

来年、豊橋は市長選挙を迎える。

出馬予定者が新聞にも出ていた。

それを見て私は「あら、私が市長選に出ることもできるんだわ」と思った。

でも、出ません。

政治のやり方を知らないし、それ以前に今の私は子供を育てることがいちばん大切なことだから。

キッパリと市長選に出ないと思いつつ(こんなこと書くこと自体傲慢なようだけど、議員選挙に出て!とかは前々からよく言われるので)、そうやって、どうしてもお母さんは自分の子供を第一にせざるを得ないから、お母さん目線の政治がなかなか実現しないんだろうな、とものすごく悔しい気持ちになった。

子供たちのために、よりよい社会にしたいのに、「現役の母親層」がなかなか政治に参加しにくい現実。

あらゆる分野において、結局は男が動かしてるんだな、という矛盾みたいなものをいかにして超えていくか。

考え、行動し、たまたま私は男の子を授かったので、息子たちに託したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
[PR]
# by hihararara | 2011-12-29 11:12 | for Japan

クリスマス・ストーリー

 

c0189426_06254048.jpg


 

ぐりとぐらのカステラみたい。

 

 

 

 

c0189426_06254173.jpg


 

 

 

 

 

c0189426_06254136.jpg


 

 

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06254110.jpg


 

2008年の同じポーズ。大きくなったなあ。そして、いつも変顔するようになった。上記以外に放送禁止顔多数。

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06254265.jpg


 

それぞれのトッピング。

 

 

 

 

 

 

 

c0189426_06254213.jpg


 

 

 

 

 

 

c0189426_06254314.jpg


 

次男は宇宙人スイッチが入り、あごに生クリーム塗りたくり、頭に赤くて三角のいちごをのせて、サンタクロースだって!!

 

 

 

 

 

 

c0189426_06254360.jpg


 

毎年恒例、イヴには夫作のビーフシチュー。

 

 

 

c0189426_06254352.jpg


 

緑の額縁写真は幼い頃の兄弟の写真(ほとんど風景写真)。父が昔私を撮ってくれた一眼レフで。

 

 

 

 

クリスマス・イヴは毎年子供たちと一緒にケーキを作る。

いつもはシフォンケーキをデコレーションしてモコモコの「雪山シフォン」と名付けてるけど、今年は長男の希望でふつうのケーキ型で焼いた。

夜のビーフシチュー。

そもそも、週末は夫が料理するけど、イヴになぜビーフシチューを作るようになったか、ワケがわかった。

さかのぼること10年前!!

私は長男を妊娠中で、予定日が元日だった。

出産間近の大きなおなかで迎えた結婚2回目のクリスマス。

「たいへんだからご馳走を用意しなくていいよ」と言った夫が代わりに作った「ご馳走ではないビーフシチュー」が始まりだったそう。

子供が生まれたらしばらく手の込んだ料理は作れないだろう、と思って、直前に慌てるようにして重たいニューヨークチーズケーキを焼いたのは覚えているけど(ちなみに『赤土に咲くダリア』でもチーズケーキに触れてるけど併せて作ったことになってる小龍包は作ってないです。まして皮からなんて!)、ビーフシチューのエピソードはまったく忘れていた。

夫がそんなきっかけで、この10年ビーフシチューを作っていたのかと思うと、なんか少しじーんと来た。「まーく(長男を夫はこう呼ぶ)がこの時期に生まれなかったらビーフシチューをクリスマスに作るようにはならなかったかもしれないな」とまったくもって自分の家のみの流れを振り返り、その家ごとのオリジナル・ストーリーは、些細なことから始まったりするんだろうなと思った。

私は、10年前の10日後(2,002年1月4日)に初めての子を産んだんだよなあということを思い出し、10年前の今頃抱いていたであろう期待と不安が蘇り、ビーフシチューを食べながら泣いた。

息子たちにとってお母さんが泣くことはよくあることとなので驚きもしないけど、10年前のクリスマスイヴにはこの世にいなかった息子(胎盤を通してビーフシチューを味わったり、ビーフシチューが出産の力となったかも、と思いつつ)が、10年後の今大きくなって、一緒にビーフシチュー食べている事実に、感動した。

そして私は言った。

「お母さんたちは、地域を放射能から守ることがんばってるけど、あの地震で家族がいなくなっちゃった人たちがいることを忘れないようにしようね。クリスマスでも、日本のどこかに悲しい思いをしてる人がいるから、その人たちを助けることができるように、まーくんも、むーくんもがんばろう」

 

********

 

毎度ながら長くなったけど、FBにいただいたミュンヘンの友達(インドネシア出身の女医さん)からのコメントを見て思い出した、ミュンヘンのクリスマス。

c0189426_06254452.jpg


 

いちばんイメージに近かったRikiyaさんのブログより拝借。

←これ、ミュンヘンの市庁舎です。本当に本当に荘厳で美しいです。

 

 

 

というわけで、どうやら我が家にもサンタが来た様子(ドサッとおかしな物音が・・・)。

うちは夫が私にも内緒にするので、サンタやプレゼントは毎年謎。

 

みなさま、メリー☆メリー☆クリスマス!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
[PR]
# by hihararara | 2011-12-24 14:12 | 家族