<   2011年 12月 ( 13 )   > この月の画像一覧

2011さようなら

 

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大晦日。

昨日は、実家に餅つきに出かけた。

これは実家の玄関の下駄箱。

うちの母は、ずっと生け花をやってきて、私が大学の頃、東京でフラワーアレンジメントの講座にも通い、今は自宅で花を教えている。

農家の嫁だけで終わりたくない、と「花」にしがみつくようにして生きてきた人。自分の道を守り貫き、続ける強さは、母から学んだ。

幼い頃から家には花が絶えず飾られていた。

渥美半島が花の産地ということもあるけれど、家の中に生花を置くことの大切さは大人になった今の方が強く感じる。

生花は周辺の「気」を変える。魔除けであり、幸運を呼ぶものだと実感する。

という私が今の家でいつも花を飾っているかと言えばそういうことはなく、ただ、実家に行くたびに、母はエライなあって思う。

 

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じいじとばあばと孫の手によるあんこもち作り。

一番不器用な父は、おもちの形をととのえながら「プリウス」と言い、みんなの失笑を買っていた!

 

 

 

 

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きったない花用の部屋で、母がちゃちゃっと生けてくれたお正月用の花。

 

 

 

 

 

 

 

 

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そのほかに、弟の奥さん(ピアノの先生)が生徒さんの発表会でいただいた洋花。

紫のトルコキキョウと大きな薔薇!!

花が集まる家はいいなあと思う。

 

 

 

 

 

 

夜は、毎年恒例の夫の高校時代の仲間たちが集まっての忘年会。

息子たちも赤ん坊の頃から参加。

昨日は兄弟ともすっかり友達という気分で加わり、乾杯したり、一緒にドンジャラや野球盤やってもらったりご満悦だった。

うれしかったのは、現在45歳の彼らが、自然と原発や日本の未来について熱く語っていたこと。

国税専門官、企業の技術者二人、土木設計の建築士、いつもはそこに医者も加わるのだけど、彼らの会話で印象的だった言葉をピックアップすると・・・

「法学的には」「技術者として」「ポピュリズム」「小選挙区制」、、、

これらの言葉は女友達と話している時には出てこない言葉。

私は男たちの社会的な会話が好きだし、しかし、女子供やいのちを忘れてもらっちゃ困るよ!としっかり合いの手を入れる。

女が必死に子供を守ろうとするように、男たちは各々の社会における使命を果たそうとがんばっている。

いつも子供から絶大な人気を誇るMくんは、東京の某携帯電話会社で働いていて、震災直後、自衛隊のセスナ機に乗せられ、現地で電話の復旧のため尽力したらしい。その時撮影してきた写真を見せてもらった。津波で700m移動してしまった事務所や瓦礫の山、浸水したという家の写真があった。

ふだん「ゆるい」と自称しているMくんだけど「今日俺は、原発や浜岡をどう思うかみんなに聞こうと思って来た」と言っていた。

私は、大好きな夫の友達(謙遜ではなく夫は素敵じゃないけど、友達は本当に素敵)が、現在日本が直面している問題について、避けることなく、彼らの専門知識を駆使しながら語り合っている姿がうれしかった。

今回、「想定外」のことが起こり、今後子供たちは今回の想定外は想定内として考えていくだろう、そうやって社会は発展してきたのだろうと話しつつ、それは18世紀に入ってからの考えだろうけどね、と産業革命にも触れる。

人類が自らの歩み方について、転換を求められていることに間違いはないと思う。

 

毎度のことながら、夫が早々に寝てしまい、2時半まで残った友達二人と色んな話をした。その二人は私の『赤土に咲くダリア』も読んでくれている(夫は読んでいない小説を夫の親友が読んでくれているというのがおもしろい)。10年かかって築いてきた彼らと私との関係性により、今では夫の愚痴も聞いてもらえるありがたい存在。高校時代からの夫を知っている分、私が話すことにもすぐ共感してもらえる強い味方。

しみじみありがたいなあと思った。

 

*******

そんなわけで、2011年最後の日は、寝不足の状態でヘロヘロ過ごした。

でも、ふとしたお誘いにはノコノコ出かけた。会いたい人にはなんとしてでも会う!それが私の活力。

紅白の椎名林檎が楽しみ♪

 

今年は、本当に本当にびっくりするような震災が起こり、復興はたいへん、原発事故の影響もまだまだ続く。

このサイトを新しく立ち上げ、秋には「いのちと未来を守る会」を結成した。何かが大きく動き出している。

そして再び小説を書き始めた。

明日からの2012年に、ワクワクしている。

 

今年お世話になったみなさま、ありがとうございました。

来年も、ますますよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-31 11:12 | 生活

原爆ドーム 『ひろしまのピカ』

 

今年のブログ、今年のうちに!!

 

8月、家族で広島~四国を旅した。

その時のことは前のブログに書いたけど、ひとつ、原爆ドームについては改めて書こうと保留にしていた。

旅行は3.11以前に行き先を決めていたけれど、結果的に原発事故の起こったその年に家族で原爆ドーム~平和記念資料館を見学できたのは大きかった。

 

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旅の初日に向かった原爆ドーム。

その場所に着き、ドームの付近に立った時からしばらくの間、私は涙を流していた。

不思議な空気に包まれて、涙が止まらないのだ。

私の感受性によるものなのか霊感によるものなのかはわからないけど、とにかく、その一帯に漂う空気が明らかに違うように感じた。

原爆投下後の凄惨な状況に加え、負の記念碑としてのこされている原爆ドームを訪ねる人たちの思いがひとまとめになって、異様な空気が蓄積されていたのだと思う。

原爆ドームと平和記念公園の間には大きな川がある。その川に水を求めて逃げ込んだ人たちの姿を想像すると余計に苦しくなった。

ちなみに、藤代冥砂さんのブログで原爆ドームに触れた回。同じ、と思い、思わずコメント入れた。

 

平和記念資料館では、子供たちが退屈するかと思ったら、思いのほか二人とも真剣だった。

「放射能」という言葉が、過去の原爆や遠い国のことではなく、自分の国に降りかかっている今が悔しかった。

次男はしきりに「こわい~~」と言っていた。

真夏に天然のオバケ屋敷に入ったような状態だった。

一通り興味深く見学した最後に、売店で「ひろしまのピカ」という絵本を買った。

 

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この本は、私が小学校3年生の時の夏休みの課題図書で、読書感想文を書いた思い出の本。

買ったその夜、ホテルで子供たちに読み聞かせながら、号泣した。

小学校3年生で読んだ時は、私は主人公の7歳の「みいちゃん」の気持ちで読んだ。

30年後のこの夏は、「みいちゃんのお母さん」の気持ちになった。

けがをしたお父さんを背負い、みいちゃんを連れて火から逃げ、走り続けたお母さん。

お母さんのどこにそんな力があったのか・・・。

最後の場面では、7歳の時のまま大きくならないみいちゃんに、白髪が生えたお母さんがこう言う。「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」

それを読んで、本当にその通りだと思った。

原子爆弾も、原子力発電所も、人がつくるから存在するのであって、そもそも人がつくらなければいいのに、と思った。

改めて読んだ「あと書き」で、『ひろしまのピカ』は、作者が出会ったおばさんが聞かせてくれた体験談をもとに描かれたものだと知った。

<おばさんは涙をしたたらせ、しゃくりあげながら子どもの手をひき、傷ついたご主人を背おって逃げまどったひろしまのピカの時のことを語りつづけました。人々はこっくりして、おばさんの話を聞きました。泣いている人もいました。>

 

その絵本の中ではたくさんの人が死に、たくさんの動物も死に、とにかく悲惨で、思えば私はその本を、読書感想文のために読んだけど、その後すすんで開こうとはしなかったんだと思う。

原爆ドームの体験で、私は夫に「子供たちを守って、大きくできるようにがんばろう」と伝えた。夫も納得しているようだった。

 

その旅から戻った翌日がちょうど8月6日で、少し前に訪ねた場所に人がいっぱい集まっている映像をニュースで見た。

また、広島のテレビ局でキャスターをしている後輩くんが「ゆず」と出ている特番も見た。

暑い暑い広島の思い出とともに、原爆ドームの体験は、私たち家族に深く残った。

 

『ひろしまのピカ』を読んだ翌年、私は『アイリーンのとうろう』も読んだ。

 

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画像がこれしかないけど、この本もこわいよ。

これについては、前ブログで書いたことがあり(2008年)、今では検索のトップに出てくる。

 

『アイリーンのとうろう』

 

その頃の読書体験のおかげで、私は放射能=こわいと学んでいる(すり込まれている)ように思う。

 

 

 

実は一昨日、市長との面談に参加した。

冬休みなので子連れで・・・。

次男はのびのびシェーッのポーズで市長との写真におさまった。

残念ながら市長は放射能の恐怖をあまり感じていないように見えた。

来年、豊橋は市長選挙を迎える。

出馬予定者が新聞にも出ていた。

それを見て私は「あら、私が市長選に出ることもできるんだわ」と思った。

でも、出ません。

政治のやり方を知らないし、それ以前に今の私は子供を育てることがいちばん大切なことだから。

キッパリと市長選に出ないと思いつつ(こんなこと書くこと自体傲慢なようだけど、議員選挙に出て!とかは前々からよく言われるので)、そうやって、どうしてもお母さんは自分の子供を第一にせざるを得ないから、お母さん目線の政治がなかなか実現しないんだろうな、とものすごく悔しい気持ちになった。

子供たちのために、よりよい社会にしたいのに、「現役の母親層」がなかなか政治に参加しにくい現実。

あらゆる分野において、結局は男が動かしてるんだな、という矛盾みたいなものをいかにして超えていくか。

考え、行動し、たまたま私は男の子を授かったので、息子たちに託したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-29 11:12 | for Japan

クリスマス・ストーリー

 

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ぐりとぐらのカステラみたい。

 

 

 

 

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2008年の同じポーズ。大きくなったなあ。そして、いつも変顔するようになった。上記以外に放送禁止顔多数。

 

 

 

 

 

 

 

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それぞれのトッピング。

 

 

 

 

 

 

 

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次男は宇宙人スイッチが入り、あごに生クリーム塗りたくり、頭に赤くて三角のいちごをのせて、サンタクロースだって!!

 

 

 

 

 

 

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毎年恒例、イヴには夫作のビーフシチュー。

 

 

 

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緑の額縁写真は幼い頃の兄弟の写真(ほとんど風景写真)。父が昔私を撮ってくれた一眼レフで。

 

 

 

 

クリスマス・イヴは毎年子供たちと一緒にケーキを作る。

いつもはシフォンケーキをデコレーションしてモコモコの「雪山シフォン」と名付けてるけど、今年は長男の希望でふつうのケーキ型で焼いた。

夜のビーフシチュー。

そもそも、週末は夫が料理するけど、イヴになぜビーフシチューを作るようになったか、ワケがわかった。

さかのぼること10年前!!

私は長男を妊娠中で、予定日が元日だった。

出産間近の大きなおなかで迎えた結婚2回目のクリスマス。

「たいへんだからご馳走を用意しなくていいよ」と言った夫が代わりに作った「ご馳走ではないビーフシチュー」が始まりだったそう。

子供が生まれたらしばらく手の込んだ料理は作れないだろう、と思って、直前に慌てるようにして重たいニューヨークチーズケーキを焼いたのは覚えているけど(ちなみに『赤土に咲くダリア』でもチーズケーキに触れてるけど併せて作ったことになってる小龍包は作ってないです。まして皮からなんて!)、ビーフシチューのエピソードはまったく忘れていた。

夫がそんなきっかけで、この10年ビーフシチューを作っていたのかと思うと、なんか少しじーんと来た。「まーく(長男を夫はこう呼ぶ)がこの時期に生まれなかったらビーフシチューをクリスマスに作るようにはならなかったかもしれないな」とまったくもって自分の家のみの流れを振り返り、その家ごとのオリジナル・ストーリーは、些細なことから始まったりするんだろうなと思った。

私は、10年前の10日後(2,002年1月4日)に初めての子を産んだんだよなあということを思い出し、10年前の今頃抱いていたであろう期待と不安が蘇り、ビーフシチューを食べながら泣いた。

息子たちにとってお母さんが泣くことはよくあることとなので驚きもしないけど、10年前のクリスマスイヴにはこの世にいなかった息子(胎盤を通してビーフシチューを味わったり、ビーフシチューが出産の力となったかも、と思いつつ)が、10年後の今大きくなって、一緒にビーフシチュー食べている事実に、感動した。

そして私は言った。

「お母さんたちは、地域を放射能から守ることがんばってるけど、あの地震で家族がいなくなっちゃった人たちがいることを忘れないようにしようね。クリスマスでも、日本のどこかに悲しい思いをしてる人がいるから、その人たちを助けることができるように、まーくんも、むーくんもがんばろう」

 

********

 

毎度ながら長くなったけど、FBにいただいたミュンヘンの友達(インドネシア出身の女医さん)からのコメントを見て思い出した、ミュンヘンのクリスマス。

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いちばんイメージに近かったRikiyaさんのブログより拝借。

←これ、ミュンヘンの市庁舎です。本当に本当に荘厳で美しいです。

 

 

 

というわけで、どうやら我が家にもサンタが来た様子(ドサッとおかしな物音が・・・)。

うちは夫が私にも内緒にするので、サンタやプレゼントは毎年謎。

 

みなさま、メリー☆メリー☆クリスマス!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-24 14:12 | 家族

一週間

 

毎日予定が詰まっていて、FBで気持ちを吐き出しつつ、ここになかなか書けなかった。

まとめ。

12月18日(日)の中日新聞の書評欄に出ていた川崎賢子さんという文芸評論家の「読書この一年」の冒頭が、今の日本の状況を過不足なく書き表しているように思ったので記録。

<3.11によって私たちの生活は一変した。千年に一度の天災。その天災が引き起こした人類未曾有の人災である原発事故によって、私たちの生活が元に復する望みは絶たれた。放射能汚染は、大気、海流を通じて広がっただけではない。愚かな国策と「買って応援」「食べて応援」という実は恐ろしいプロパガンダとともに全国に流通させられた食物を通じ、内部被曝は拡大し、今なおがれきの処理を介して放射能は全国に拡散しつつある。

災厄のもたらす不幸の形は、個々それぞれに異なる。「絆」「連帯」を必要以上に協調することは、それぞれの個別の問題を均質化し、見えないものにしてしまう。>

まったくその通りである。

それとこれは別!!内部被曝や放射能の拡散はなんとしてでも防がなければならない。なぜなら、そんなことをしたら、日本が本当に滅亡しちゃうから。ある人は言った、「健全な細胞までやられちゃう」。そうだよ。日本を一つの生命体と考えた場合、確かに震災や原発事故で被害を受けている渦中の人たちは本当に本当にたいへん。でも、被災者の方々を長期にわたって支えていくためにも、健康な場所や人は健康であり続けなければならない。むしろ、すでに背負わされている私たちや私たちの子供世代の負担にめまいがする。

私はずっと書き続けてきたことだけど、自分の子供を救うことが日本の将来を救うことにつながると信じて、みんな、各々の地域や子供を守りましょう。

(というほど厳密に私も食事を管理できているわけでもないし、影響もどこまでなのかわからないから、本当に難しいと思っています)

 

野田首相の収束会見については、「いよいよ、日本のおかしさを認めざるを得ないんだなあ」とすごくさみしかった。彼の言葉がまったく理解できなかった。異次元に入り込んでしまったように感じた。

「冷温停止状態」というのは造語です。「冷温停止」というのはちゃんと定義があり、例えば格納容器あっての言葉です。格納容器も損傷しているどころか、いったいどうなってるのか誰も内部を確認できない状況で「冷温停止状態」という言葉で現実の深刻さをすり替えているに過ぎません。

収束発言を受けて、観光庁は「福島へ行きましょうキャンペーン」を始めるそうですが、それについては仲間の苦情もあるので(もっとも)、長官(縁あって9月に豊橋で飲んだお友達)に直接意見しました。長官からもすぐに返事をもらったけれど、ここでは伏せます。でも私は私なりに相手が誰でも言うべきことは言うつもりでいます。それとこれとは別です。

 

恐いけど、声を挙げないことがどういうことにつながっていくか書いてあるブログ。

日本が世界中の核廃棄物の置き場になったら嫌だよね?

http://okaton.blog.fc2.com/blog-entry-119.html

相馬市に住んでる女性のブログ。現実を的確な言葉で表現してくれていると思う。

http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924

もう一つこれも・・・「日本人はメンタルまでメルトダウンしている」

http://www.cinematoday.jp/page/N0038010

 

☆☆☆

 

<12月20日のFB書き込み>。

編集者のSさんが豊橋来てくれた!私が今、東京行く気ないのと平日の昼間しか嫌だと言ったらそこに合わせて来てくれたよ。
で、新しい小説の話。形になるかも本になるかもわからないけど、やはり私の中にはどうしてもインモラル(Sさんが好んで使う言葉)な自分があり、自分(というか宇宙目線)では悪いと思ってないことが多いので、それを抱える自分と社会との折り合いをつけるためには、小説を書くことで自分を救済するしかないし、ささやかな革命がやめられないのだ。
とにかくもう、フクシマに関わることがたまってるし、愛やエロも書きたいし。

Sさんは毎年恒例の森村誠一さんとの熱海旅行の帰りに来てくれたのだけど、森村さん、その熱海旅行(今年は過去関わった編集者も集結の総勢90名)の旅費や宿泊費やお土産代まで全部支払うんだそう。スゲエ!!今年、吉川英治文学賞を最年長で受賞したという森村さん、80歳!(『人間の証明』は知ってるけど、一冊も読んだことないです)
そんな大家にはなれないけど、そういうことできちゃうホスピタリティーには憧れる!!

 

<12月22日の書き込み>

来月結婚するYくんがさっきまで我が家に来ていた。
貴重な休みの日に9時過ぎにやって来て、ランチをお出しして13時40分まで喋りっぱなし(私は聞き役です:笑) 彼のピュアさと熱さとめんどうくささに、「私、Yくんに生まれなくてよかったなあ(生きるのがたいへんそう)」と思い、帰りにそう伝えたら、「僕も話聞いてて、藤村さんに生まれなくてよかったと思いましたよ」とのこと!
楽しいこともたいへんなこともずっとそばで見てきた妹に、「お姉ちゃんにだけは生まれたくない」と言われることはよくあるけど、10歳近く年下の男友達にまでそう言われるとは!!


やはりそれぞれ、自分の生をまっとうするしかないんだよね。

さて、この後子供を迎え、15時30分からは中学時代の男友達が奥さんと子供連れてやって来る。
このところ多忙でプライベートの約束を12月に回したのと、今年の約束は今年のうちに、という気持ちもあり・・・。
あっちこっちで清算祭り!

 

<12月23日(今日)>

今日は幼稚園の同窓会。時間より早く息子たち出かける。
懐かしい幼稚園で、懐かしい先生やお友達と過ごさせてもらうのは、彼らにとって、子宮とまではいかなくとも、ゆりかごに戻る時間なんだろうなあ。
言葉じゃない、あたたかい空間。
毎年恒例のこの催しに感謝!!

 

**********

 

子供を抱きしめた時、大きくなったなあと思うと同時に、大人になるまでにかかる歳月に目がくらむ。

細胞が影響を受けにくくなるまでにあと何年かかるのだろう。

毎朝起きるたびに、原発事故は現実なんだ、と再確認する。

今も放射能が出続けていることを考える。

嫌なことは忘れたいけど、嫌なことが続いている以上、現実を知った上で、どう対応するか、だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-23 04:12 | 生活

ムーミンカップ

 

FB二連発・・・

 

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イトーヨーカドーで衝動買いしたムーミンカップ。元々好きだけどこの頃ムーミンシリーズすごい好き。
スナフキンとミーとムーミンを買い(奥のは元々あった森のやつ)、息子たちに希望を聞いたら、「オレ、スナフキン!」「オレ、ムーミン!」とうまく分かれてよかった(私はミー)。
わけあり市で、一個300円だったんだよ♪

 

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さっきのつづき。
で、食後にドーナツとミルクティー。ドーナツは地元の人は知ってる「太陽のドーナツ」http://www.zondonut.jp/
これ、手前のお皿が人の顔(長男作)で、奥は「くま」らしい(そっちは次男)。「え!くまなの?」って聞いたら「そうだよ、りすだと思った?」と言われた。

つまり・・・息子たちの柔道を待ってる間にイトーヨーカドーでカップとドーナツを衝動買い(笑) 「太陽のドーナツ」、イトーヨーカドー初出店だったらしく、店長さんかな?と話したら一個おまけしてくれた!まるっきりサザエさん気分♪

 

(夜、全部食べたわけじゃないです)

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-17 12:12 | 生活

みなみそうまサラダプロジェクト・レイナ・明太子

 

10、11月が多忙で、プライベートの約束を12月に回してもらった分、毎日色んな人に会っている。

13日は、田原市のまたいとこ・ミチヤとランチ。彼が渥美半島の活性化のために考えていることを聞き、助言。ミチヤは学校は違うけれど、お互い小学生の時の陸上大会で1000mに出場し、「血」なんだなあと思った。中学でもお互い長距離をやり、彼は(私も?)ヤンキー街道まっしぐら。成人式の時一緒に撮った写真では、ミチヤ・白の紋付き袴、私・振袖は着ずにショートカット&パンツスーツ。お互い斜に構えた元ヤン角度であった(笑) つい先月久々に電話があり、木下講演にお誘いして再会。そして、しっかり話すのは生まれて初めてというランチだった。

帰りに彼も関わっている「みなみそうまサラダプロジェクト」という、愛知以西の新鮮な野菜を福島県にお届けするプロジェクトのリーダーとメンバーにお会いした(新聞で知っていたけど、そのメンバーに会えるとは思わなかった。「志もだけど、ネーミング素晴らしい!!」と絶賛しておいた)。ちょうどその朝福島から戻ってきたばかりと言うので(いったんみんな家に帰ってはいたけど)、彼らが着ていた服や車内をガイガーカウンターで計測する(木下さんの教えを守り道中洗車したおかげか通常の数値だった)。そして、福島への支援と同時に、安心だと思っているかもしれないが、この地域の農地の土壌についても、調査し、守っていく重要性を伝えた。ミニストップの駐車場で、3人の男性相手に街頭演説張りの熱弁(笑)

第一次産業バリバリの彼らが感覚で思っていること、身体で動いていること、それはとても正しいが、整理すること、表現することが苦手。その辺りをうまく支援したい。第一次産業の大切さをもう一度見直さなければ日本はダメだと思うから。

その時いただいた、彼らが懇意にしている保育園のおたより(平成23年5月号)。

こんなたいへんな状況において、園児のことを思い、精一杯がんばっている園長先生の思いを想像すると泣けてきた。



 

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ここの保育園は、園長先生がすごくがんばっているので、少し遠い地域からも子供を預けに来る人がいるとのこと。そのため、保育園はきゅうきゅう。外遊びもできず、気をつけることばかりで、大人も子供も本当に苦しいと思う。

既存の報道で伝えられることではなく、こうして現場のおたよりを見ると、生の声が痛い。みなさんにも何か感じてもらえたらと思って、載せさせてもらいました。

 

***********

 

一転。

 

14日は、レイナに会った。その日のことを写真とともにまとめてくれたレイナのブログより・・・「豊橋のカリスマBIBIKO」

「ビビコとランチするから来て!」とだけ言われて出かけたけど(彼女との約束はいつも唐突で、どんな展開であろうとお互いにゆるされる間柄)、新しい出会いがいっぱいあって、おもしろかった。

黙ってられないので書くけど、私は運転が苦手で、ビビコちゃんのスタジオから市役所最上階のコスタリカに移動する時、レイナとアシスタントのせいこちゃん乗せつつ、右折できなくて遠回りして、大迷惑をかけてしまった。こんな時いつも、「読書好きで運転が得意な女は離婚率が高い」という佐野洋子さんのエッセイを思い出す。私が離婚せずにいられるのは、運転が苦手なので、そういう部分において謙虚にならざるを得ないからかもしれない。

ビビコちゃんは、ダンナさんのともくんが教えてくれたエピソード含め、とてもアーティスティックな女性だと思った。感性を超えた霊性というか。それが才能というものだろう。

レイナのインストラクター仲間ちゃんを中心にお会いしたけど、共通の知り合いが複数いてびっくりと同時に、今は特に「出会い・つながる」という流れの中にいるので、そういうものなんだろうなあと思った。とはいえ、前日の「サラダプロジェクト」のみなさんとのつながりといい(そっちもそっちですでに知り合いが複数いて)、フワフワした感覚の中にいた。

 

************

15日。

友達のお姉ちゃんからお歳暮が届いた。お見合いのお世話をしたお礼の様子。

中身は、高級明太子だった。

本来なら大喜びなのに、希少な国内産スケトウダラの卵(たらこの中でも、完熟卵の真子)使用とのことで、HPやら、「スケトウダラ 放射能」で検索する。

残念なことに北海道のスケトウダラは汚染の数値が出ていて、どうしたものかと悩んだ。長男も私も明太子大好き。

楽しみにしている息子に食べさせたいけどどうしよう?と思い、(お店が閉まっていたので)まずは、信頼する会の仲間にメールで意見を聞いてみた。

彼女の提案は、カルシウム・カリウムを摂取したのち少し食べて、ペクチンで排出、だった。

確かに。

そのため、今朝の朝ご飯では、まず明太子の前に、息子に小魚(瀬戸内)とワカメ(韓国)を出した。そして、福岡のお店に丁重に電話。

「北海道産のスケトウダラということですが、放射能に関してはどのように対策していますか?」

すると思いがけない返答。「今出ている商品に関しては昨年の卵です」

新鮮さにこだわり、外国産の冷凍卵ではなく・・・とあったので、てっきりとれ立ての卵かと思ったら、加工前に一切の冷凍をしない、とのことで、加工後瞬間冷凍して保存してあったものだそう。

ホッとした。

息子に安心して食べさせることができる。

「ご心配おかけしてすみません」とおっしゃる店員さんに向かい、「お店が悪いわけじゃないです。国産にこだわる姿勢は素晴らしかったのに、この状況が悔しいです。応援しているのでがんばってください」と泣きそうになりながら話すと、店員さんも電話の向こうで泣きそうになっている様子だった。

電話を切った後私は泣けてきた。悔しくて悲しくてたまらなかった。

丁寧に北海道産材料にこだわってきた、九州の明太子屋さんが困っている。

こんな風に日本中に苦しんでいる人たちがいる。

先ほど会のコミュニティにも書いたけど、消費者としての声をダイレクトに伝えることによって、お店の関心を高め(関心の高いお店はすでに心強い独自の対策を始めている)、共感し合い、この問題にどう立ち向かっていったらいいか、一緒に考えていけばいいんだと思う。お店を応援すること、お店を育てていくこと。

大げさだけど、今の日本に必要なのは批判で傷つけ合ったり対立してものごとが進まないとかではなく、なんとか寄り添って支え合っていくことのように思う。

みんな前代未聞の今だから。

私たちの会の活動についてFBで知らない人からメールをもらうことがある。例えば群馬の男性が褒めてくれたこと・・・。「市と対立してしまうと何より可哀想なのは子供になる。豊橋はよくやってる」。

対立ではなく融和や協調。
草の根でがんばろう!!

 

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宝石以上に貴重な昨年の卵・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-16 05:12 | 友達

宮崎の太陽 「わたしを束ねないで」

 

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今年はたくさんの新しい出会いがあった。

2011年の3月11日は、日本人にとって忘れられない、忘れてはいけない転換の一日であった。

新しい出会いが多かったということは、私が今年、新しい行動を起こしたという証でもある。今年の出会いが例年と変わらなかったという人は、ぜひ変えてください。

日本のためにどんどんつながってください。

そのくらい3.11は大きなできごとであり、その余波はこれからも続いていきます。

今までネットで出会う人というのは、どこか距離があったと思う。

でも、3.11を経て、人々の「想い」が抽出されやすくなった今、近くに住んでいて通じ合えない人より、遠くに住んでいて心通う人の方がよほど近くに感じる、という現象が起こっている。チェルノブイリとフクシマを比較した時、インターネットがあるかないかというのは大きな違いだと思う。

そのくらい、大きなできごとは、日本を分断しつつもある。

 

facebookを通してこの秋知り合ったばかりなのに、不思議と最初からつながっていると信じられるひとがいる。

宮崎の「みこさん」。

上記の美しい写真を撮ったお方。写真は屋久島の風景。タイトル「天空への入り口」。

このハート型の空の写真に惚れ、この人はただものじゃないな、と思った。

そしてすぐ、みこさんのただものじゃないっぷりが明らかになる(笑)

以前紹介した、みこさんが書いてくださった私の小説の感想。

赤土に咲くダリア

 

そんなみこさんと、先週初めて電話でお話した。はるばる宮崎のマダムハウスからお電話くださった。こんな素敵なところ

いきなり2時間半も話したのだけど(笑)、ずっとずっと同感・共感の嵐だった。通じ合うというお方、私が尊敬するお方は、年齢や性別に関わらず、最終的には同じものの考え方にたどり着いているように思われる。私はそれを「真理」と呼びたい。

みこさんにはお医者さんの息子さんがいて、さらにはお孫さんまでいる。「女」の大先輩なのに、私たちの話は完全にガールズトークだった♪ 私が今38歳でもがきながら現時点での結論だと思っているようなことを、先輩のみこさんが過ぎ去りし日のこととして、さらりと神の視点とも言えるような言葉でまとめてくれた。「縁」「決まる時には絶対にそういう流れになる」「子供を産むために必要な相手だったんだろうね」・・・悠久雄大かつ、心地よい言葉の連続に、私はハンカチで涙をぬぐいながら頷いていた。

みこさんが言っていた子育てに関する言葉、「本当のこの子はなんだろう?」「寄り添いながら見守っている」これらは、今後の指針にしたい。

周囲の方々から「陽だまりのようなひと」と評されるというみこさんは、本当に温かくて、宮崎の太陽や女神だと思うような人だった。福島から避難している人たちのお世話もしていて、フクシマに関すること、今日本がすべきことについて意見を伺うと、私が思うこととまったく同じだった。

生き方についても、現在について思うことも、尊敬する目上の女性と意見が一致することは本当に支えになる。

私は間違ってないんだな、このまま行けばいいんだな。

力強いエールをいただき、何度も涙がこみ上げた。

魂の健全な奔放さは、誰にも束縛することなどできない。

みこさんとの会話で思い浮かんだのは、塚本晋也の『六月の蛇』(映画の小説化)の一場面と、みこさんも私も好きな、新川和江の詩、『わたしを束ねないで』だった。

『六月の蛇』より・・・

<りん子は、我々が守らなければならないと思っていた垣根を越え、天上を歩いているようだった。・・・・すべての人が、近寄りがたい黄金の血統を持つ、一段上の動物を見るようにりん子を見た。>

<りん子は今、私のものではなかった。もともとひとりの人間が誰かのものであるはずはない。結婚という拘束が、相手をとりあえず自分のものと言い切ることのできる権利と快楽を与えてくれてはいたが、今の私にはどうしてもそうは思えなかった。りん子は誰のものでもない、彼女自身のものであり、・・・・・・・>

 

*********

 

『わたしを束ねないで』

 

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲妻
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲妻

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちている
苦い潮 ふちのない水

わたしを名づけないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
「,」(コンマ)や「.」(ピリオド) いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

 

**********

 

この詩を初めて読んだのは、中学校の時の国語の教科書だったと思うけど、その時は農村地帯の私にとっては、「白い葱」だとか「日常性に薄まられた牛乳」?というキーワードが妙に残ってしまい(笑)、詩の深淵には触れられなかっただろうけれど、それでもとても印象に残っていた。

そして、人生を重ねるごとに、この詩の有機的なイメージと荒々しい自然に喩えるほどの精神の広さや強さ、願いに共感する。

さくらももこの「そういうふうにできている」を読んだことはないけれど、よしもとばななの「体は全部知っている」もそうだけど(そちらもしっかり読んだことはない)、世の中の流れも自分の流れもすべて「そういうふうにできているんだなあ」とか「全部知ってるんだなあ」と思うことはよくある。

みこさんが言った、

「地球は誰のものでもないんだから」

そういう言葉をごく自然に口にし(私もまったくずっとそう思ってきて)、すべて流れやご縁の中で「生かされている」と感謝しながらもしっかり主体的に「生きている」。そういう女性が私は大好きだし、これからもそういうふうに生きていこうと思う。

 

みこさん、ありがとう。これからもよろしくね♡♡♡

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-13 23:12 | 感動

私は月食こわかった。

 

今日の朝、facebookに、月食について綺麗だったとか神秘的だったという前向きな書き込みがいっぱいいっぱいUPされていた。

しかし私はこわかった。

その気持ちを書いたものを転載。

********

 

私は昨日の月食こわかった。
月や地球や宇宙はただ悠然と泰然と自然の営みを行っているだけな​のに、ちっぽけな人間がちっぽけなくせに、エラそうにごちゃごち​ゃと主張している。
月は大らかにあたたかく、人間のバカさ加減を見守ってくれている​ようにも思ったし、クールに冷徹に人間など見過ごして、この先何​千億年も同じ営みをただ淡々と続けていくようにも思った。
月に感情はあるのか、ただ人間が意味を持たせたいだけか。
私たちは私たちで目の前の日々に一喜一憂してしまうけれど、月か​らしたら一瞬以上に短いできごと。
私たちが消え去っても、同じような光を地球に注ぐのかな、と思っ​たら、月のあたたかさと冷たさを同時に感じた。

 

*******

いただいたコメントへのお返し。

 

☆みこさ~ん みこさんの体調崩してる記事読んで、まさ​にみこさんが書いてるようなことコメントしようかと思っ​たんだよ(やっぱり通じてる:笑)
私も満月になると笑えるくらい眠れなくて、それは満月と​意識してではなく、このどうにも眠れない感じは満月では​ないか?って空を見上げるとやっぱり満月!!ってくらい​に反応しちゃうんだよ。独特の感覚。ともさかりえちゃん​も同じで月センサーが働いてしまいます。
私は昨日は、欠け始めの時に息子と眺めてはみたんだけど​、こわくてこわくて、たぶんそれは、灯りのない国の人が​このまま月明かりが消えてしまったらどうしよう、という​感覚に近かったと思う。前に観たフランスのドキュメンタ​リー映画の「プルミエール」ってのが皆既日食と世界各地​の出産を結びつけて描いてて、それがよみがえったのもあ​る(映画自体は期待したほどではなかったよ)。
それで息子と寝ちゃったんだけど、朝になってみなさんの​書き込み読んで、月の変化をすべて見たかったなあという​思いと、しかし、色々感じ過ぎちゃって昨日は無理だった​だろうなあと思う。
月が美しければ美しいほど(というよりやはりこわいけど​:笑)、コントラストとして、地球を汚してしまってごめ​んなさい、って思いとか、色んなごちゃごちゃが浮かび上​がってしまうよ。やはりどう考えても、美しい自然の光と​人工の汚染物質は相容れないなあって思った。
ってほどまいってないので心配しないでね(笑)
みこさんがこの間話した、地球は誰のものでもないのにっ​て感覚、まったく同じです!

 

☆千夏ちゃん

千夏ちゃんも、月センサー反応してるなあ!!
太陽が似合う千夏ちゃんだけど(というか私も太陽っぽく​言われるけど)、月に寄り添えるというか、月とつながれ​るくらいに成長したんだろうなあって思ったよ。お互いに​大人になったんだなあって(みこさんにも、いちばんいい​時だよ~って言ってもらえるよ)。
で、ふと思ったのは、見つめてくれてる月って男か女かだ​ったら女に思えるんだよね(みんなそれぞれ感じ方あるだ​ろうけど)。太陽はどうだろう?ギラギラは男性的に思え​てもやっぱり女かな、海もそうだけどやはり月も太陽も海​も「母なる~」って付けられるように母なのかな?とか。
私は男大好きだけど、やっぱり女の感性が今一層求められ​てるような気がする。で、ふと思い出した、6月頃ツイッ​ターでやりとりした、「地球交響曲」の龍村ゆかりさんか​らもらった言葉。
<大地としっかりつながって生きていこうね。易学的にも​2010年から男性支配の連山易から女性主導の帰蔵易に​入っています。>

ってことで、月のお力をいただいて、のびのび邁進しよう​!

 

*********

感じることが多い私は、やはり割り切って!文章としてアウトプットする時間が必要。

ブログはある程度まとめたものになるけど、その都度その都度の思いはfacebookかtwitterにこぼしています。興味持っていただける方はこちらです。

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by hihararara | 2011-12-11 07:12 | 自然

バッテリーとお別れの会!

 

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遠方の家族や親族に捧げます。

ハイ、これが、逗子の妹と母(妹の産後のお手伝い)に向けて説明していた父のネクタイですよ。

この模様を、父はナメクジみたいなやつと言い、私は初心者マークの右がエンジで左が紺って感じと説明していました。

今日は東愛知新聞社前社長(父の兄)のお別れの会でした。

父がなぜ、スーツの上にウィンドブレーカーを羽織っているかと言ったら・・・

 

 

 

 

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困った娘(私)が前夜、ライトつけっぱなしでバッテリー上がってしまった車(@イトーヨーカドー屋上駐車場)にケーブルをつなぎ、動くようにしてもらいました。

お別れの会の会場がちょうどお隣の日航ホテルだった偶然にも感謝!

 

 

 

 

 

 

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慣れないスーツ姿で、ホテルでのお別れの会の前にバッテリー作業というのが笑えて笑えて、笑いながら写真を撮ってると「笑いごとじゃねーぞ!」と言いながら父も笑う。

困った娘は嫁に行っても困ったまんまで、38年のつき合いになります(笑)

昔から変わったことをしでかしてきた私だけど、受けとめてくれる両親の器あってこそだと改めて実感し、私も大きな親になりたいと思いました。

 

 

 

 

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父と娘のランチ。

二人でご飯を食べるのは、久しぶりだったね。

 

 

 

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さてさて、故・藤村圭吾のお別れの会は、想像以上に盛大なものでした。

多くの方々がお集まりくださっていた。

 

 

 

会の前に控室で神野信郎さん、山本明彦さんとお話し、自分たちの会の活動についても触れる。圭吾伯父と「花園幼稚園」(思えばつい先日講演会でお世話になったお寺の幼稚園)で同級生だった神野さんが、友人代表として惜別の言葉をくださった。当時(二人は80歳)の豊橋市の駅周辺は線路のあちら側とこちら側で大きな違いがあったそうで、圭吾は、「線路の向こう側からやって来たのはボクだけだ!」と話すとてもやんちゃな子供だったそう。お言葉の中にあった、「豊橋中学に同じ年に入学。・・・(中略)・・・圭吾くんは一学年下になりましたが」というところで控えめに笑いが起こった(圭吾は出席日数が足りず高校留年で、同級生が2学年いることが、のちの人脈に役立った)。

 

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立派な祭壇。

 

 

 

 

 

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石神の「さぶちゃん」に用立ててもらった、献花用の菊。さぶちゃん、ありがとう!!

 

 

 

 

 

 

 

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この写真のタイトルは「ミスみなとたちと海外視察と旅行を楽しむ」

ハイ、明らかにミスみなとではない圭ま吾ちゃんが写ってますね(笑)笑ったわ~~

会場で出会った今年度のミスみなとのきれいな子とお話した時「元ミスの方かと思いました」と言われてホクホク顔の私!!!

 

 

 

 

 

にぎやかなこと、明るいことが大好きな圭吾の気持ちを尊重し、会場は社交の場となっていた(ま、そういうもんだろうけど。男性社会の名刺を出すタイミングとかおもしろい)。私もこういう場、大大大好きなので、短い間に話しただけでも(話した順)・・・

 

山本けんたろう豊橋市議会議員浅井よしたか県会議員山本ひろし県会議員FM豊橋 取締役統括部長竹内さん鈴木克幸田原市長 原功一・合併前最後の渥美町長佐藤多一豊橋市議会副議長東日新聞白井社長FM豊橋パーソナリティー西村渚さん(司会)・・・

 

けんたろう議員は、ちょうど先月末の陳情書提出で、会のなぶちゃんがお会いしたのでそのご挨拶、浅井さんは、高校、大学の先輩で夫も知ってる。ひろし議員は、妹ちゃんとピアノ塾が一緒で、ひろしさんが町会議員時代から知っている仲(「議会だより」の「私のふるさと渥美」というコーナーで執筆させていただいたご縁。イケメン議員さんで再会がうれしかった!)、竹内さんは一時番組を企画しようと思った時以来の再会、田原市長は遠い親戚に当たり父が紹介してくれた(恋路ヶ浜のイラストの名刺が素敵だった)、原功一さんは、渥美町最後の議員主催パーティーでお会いして以来(あさりを送ってくださったこともある。お元気そうでうれしかった)、佐藤副議長には、議長室で2度お目にかかった。かしこまった場とは違うお話ができてうれしかった。白井社長は8年前の小説出版時にお世話になり、今回も会の活動で一面に載せていただいたりしているので、お礼とご挨拶。西村さんはちょうどラジオ出演時にもお会いした。

あ~~楽しかった!!!

 

帰り際、圭吾と父の間の邦香伯父に、「もうちょっとゆっくりしてけばいいのに」と言われたけど、バッテリーの件を話したら笑われた。

会場で会ったいとこも伯母さんも私の困った娘ぶりを笑っていた。

父とともに清々しい気持ちで会場を後にし、再びヨーカドーの屋上で車を確認すると、ちゃんとエンジンがかかった。しかし、道中でのエンストを恐れ、父に家まで伴走してもらった。

本当に本当に困った娘である。

私は昔から父が大好きで、今も大好きだ。

割に合わない思いも多い五男坊の父であるが、私たちにとっては自慢の頼もしい父である。

父が私のことをみなさまに紹介する時、「何をしでかすかワカラン困った娘だもんで~」と言っていたけど、困った娘を受けとめてくれてありがとうと、何度も思った。

圭吾の後継として、いとこの正人が社長となった。彼や新聞社を応援したい。

圭吾の功績や人柄を感じるような、素敵な会でした(無事家にも帰れました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-09 07:12 | 家族

職業じゃなくて性質

 

「作家は職業じゃなくて性質」

 

と、お洒落でキュートで独自の活動をしている魂の友が言った。

小説を書こうとしてない私だし、売れてもなんでもない無名の私のことを「キミは作家だから」と言い続けてくれる友達もいる。

やめられないことは、書くことだ。

発信し、伝え続けること。

 

ここ最近、色んなことでごちゃごちゃしていて、例えば、先月末の講演会や「いのちと未来を守る会」の活動のフォローも続いていて、自分自身や自分の子供のため、そして、人助けと思ってやっていることだけれど、人々の依存が見えてくると、そこまでの余裕は私にはないと苦しくなる。私が第一に注ぐべきは自分の子供であり、今はただでさえ、食材を気にしたり床掃除の時間を増やさなくちゃならない時だから、外へ向かう自分を嫌悪したり、外と家庭とのバランスに葛藤してしてしまう。

今やってることは絶対に必要なこととして迷いはないのだけれど、向き合い方を考えなくてはならない。

ところで、最近の私のツイートより・・・

<土地にこだわる気持ちはわかるつもりでも、高濃度汚染地での除染はどうしても不毛に思えてしまう。東北の復興事業がようやく本格化したことを内部から聞いたけれど、復興できる場所とそうでない場所がどうしてもある。国の再生方法を抜本的に見直さない限り、日本は本当に沈没する。>

 

<今必要なのは政治家よりも芸術家や思想家の本質的な視点だと思う。 固定観念にとらわれない発想。でも、最終的に国を動かしているのは政治家だし、本当に難しい。>

 

<粉ミルクからセシウムってのがたくさん回ってるけど、飲んでしまった赤ちゃんやお母さんは気の毒で済む話じゃないけど、予測できたことなので、みんなが驚いていることにびっくりしてる。事態はずっと前からずっとずっと悪い。本当に残念だけど・・。なんとか前向きにっていつも思いながらも落ち込む。>

 

政治家という職業の人に実際に触れる機会も増えた今、政治家という人の、通常に戻そうとする、通常にこだわろうとする、という姿勢(性質なのか?)に出会うと悲しくなる。今は非常時だ。通常の考えではダメなのだ。

「場所にこだわらない。大切なのは命だ」

そう言って木下は全力でたたかい続けているけど、「わかってしまう」「わかっている」からこその孤独。私も、3.11以来、世の中の反応が半年遅れているようで、苦しくなる時がある。

常に「なぜわからないんだろう?」という社会と前提としてたたかっている。

 



 

昨日は、持久走大会をがんばった子供たちのリクエストで夜、イトーヨーカドーに行き、上記のごちゃごちゃと関係あるのかないのか、私は車のライトをつけっぱなしで買い物に行き、ゆっくり戻ってきたらバッテリーが上がり、車が動かなくなっていた。

飲み会中の夫には頼れず、頭の中に頼れそうな友達をズラリと思い浮かべ、結局いつもの男友達にお願いして来てもらい、車は置いて、彼に子供ともども家に送ってもらった。

無邪気に友達と触れ合う子供たちに大笑いし、家に戻ってからは、FBに、この本の紹介をした。http://shinsho.shueisha.co.jp/kotoba/

 

こんな風に、自分の関心は常にあっちこっちにあって、ごちゃごちゃを深めているわけだけれど、それはつまり、決して放射能一方向に傾いていないということ。

寝る時に、次男が、「今日の持久走大会、歯の矯正したまま走った」と言い出し、スタート時に彼としてはずいぶん出遅れたことについて「矯正が落ちてみんなに踏まれたら壊れると思って、気をつけながら走ったから遅くなった」と言い、人一倍負けず嫌いの彼のその時の気持ちを思うと、不憫で不憫でならず、親子でほとんど泣きながら寝た。

母親というのは、子供の身体感覚を我が身のできごとのように肉体的な感覚として受けとってしまう。矯正の不自由さも自分の口の中のできごとのように感じてしまう。

子供が精一杯走っている姿、子供が苦しそうにがんばっている姿を、見られないと言っているお母さんも何人もいる。私もそうだ。子供の苦しみはどんな種類であっても、自分の身を切られるような思いがしてしまう。

それは過去、子供と自分は同じひとつの身体だったからという記憶によると思う。

 

昨日の持久走大会で、走り終えた子供たちが、降り始めの雨に濡らされていた。

身体が冷えることを心配するよりも、放射能を含んでいるかもしれない雨に、我が子の身体をさらすことがつらかった(この考えが決して神経質ではないことは、チェルノブイリの本を読めばわかる)。

それなのに、運動場の向こうにいる子供や先生に向かって、「早く教室に戻してあげて」と言いには行けなかった。

ちょっとくらいの雨ならと、例年通り他の学年を応援していたのかもしれない。

自分のクラスだけ戻るわけにはいかないと先生も思っていたことだろう。

「自分だけ逃げるわけにはいかない」

似たような大小が今、福島周辺で起こっている。学校というのは世の中の縮図でもある。

福島とチェルノブイリの違いは、チェルノブイリは大爆発だったとしても10日で放射性物質の大量放出は収束しているということだ(もちろん、その後も漏れ、現在でも現地の放射線量は高い)。

会の仲間の言葉がよみがえる。

「(福島原発は)今だって毎時6000万Bq/kg(11月の政府発表)が放出されているわけだもんね。毎時だよ?24時間に換算すると…144億Bq??」

この事実を、もっともっと重く受けとめるべきだと思う。

私は今これを、目が覚めてしまった午前3時に書いているけれど、

結局のところ私は本当に、性質として考えたり、書くことがやめられない。

そしてやはり、私が思うことを(もちろん、真面目なことばかりじゃなくて、つまりは人々の固定観念を外すことが大好きだし、使命のように感じているわけだけど)発信しなくちゃと改めて思っている。

学校に向けては、信頼しているとても愛情深い次男の担任の先生と、校長先生に雨の危険性を伝えたいと思う。そして、教育委員会や教育長へも、現場の意識改革を促してもらえるように呼びかけたい。

結局、危機意識というのを、日本のすべての大人たちに持ってもらわないと、子供を守れない。

事態は、自分たちが思う以上に深刻で、福島第一原発の事故は、人類未体験という甚大な規模であることをしっかり受けとめなくてはならない。

何度も書くのは、無関心でいてもらっては困るからだ。

 



 

ほとんど泣きながらここへごちゃごちゃを吐き出そうと思ってパソコンに向かい、新しく受信したメールを見て、救われた。

 

<昨日、さよなら原発東三河ネットワークのミーティングがあって、映画会で出た黒字分の運営資金から、東三河5市町村の土壌検査、5地点を出すことに決まりました。

すぐにでも出せるので、直接、放射能防御プロジェクトに問い合わせしてます。

(中略)

この運動は、とても重要と考えています。木下さんの話を聞いて、本当に良かった。

チェルノブイリの原発事故後、関わった人間として、チェルノブイリでこのような調査がなされなかった、あれば良かった、という話は、とても重く受け止めました。今を生きる私達はもちろんのこと、後世の子ども達に残す貴重な資料となると思います。

私達のグループも今後も、ことあるごとに話し、地点を増やしていきたいと思ってます。>

 

空間線量ではなく、土壌調査の重要性を木下の講演会で再認識し、すぐに動いてくれた活動の先輩たち。

この活動を始めて知ったことだけれど、昔は、いつも怒ってるこわい人たちかと思っていた「活動家」の人というのが、とてもやさしい人たちだと知った。

少なくとも、地元で出会う市民活動の先輩たちは、本当にやさしさにあふれている。

みんな、愛の人たち。

愛が深いから、子供たちや未来を守りたいから、声を挙げずにはいられない。

Tちゃんのメールを見て、私はひとり、泣いた。

温かい涙。

不自由な矯正をはめて不安の中走り、雨に濡れた息子(背景には絶え間なく大気中に注がれる福島原発の放射性物質)を不憫に思って流した涙とは明らかに違う種類の涙だと思った。

願わくば来年の持久走大会は、子供たちが思いっきり息を吸う大気が、少しでも浄化されていてほしい。

せめてこれ以上の汚染を防がなければ。

 

私は性質として書き続ける。

各々が各々として、少しずつでいいから、行動を起こそうよ。

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-12-09 01:12 | 表現・創作