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言論シャワー 木下黄太講演会

(最長ブログです)

講演会にご参加くださった方、ありがとうございました。

たくさんの方のお力のおかげで、大盛況、大成功でした(主催二人の気持ちであり、行き届かない点も多かったと思うのですみませんでした)。

裏話も込みで講演会のことまとめたいのですが、さすがに今はバテてるし、シビアな内容なので慎重に書かせてもらいます。

ひとまず写真だけUPします。☆仏様が写っていますが、たまたまお世話になった会場が駅近くのお寺の研修室だったというだけで、宗教とは関係ありません。ご加護に感謝です☆

私自身は、木下さんとの12年ぶりの再会を楽しみました。

不思議な流れだし、世の中の状況は悲しいけれど、変わらず話せてうれしかったし、同時に、時と経験の分だけ、お互い成長したなあと思いました。☆写真の下に、文章追記しました。

 

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(後日追記)

講演会、本当に様々な方がいらしてくださいました。赤ちゃんを連れたご夫妻、小さい子連れのお母さん、小学生のお子さんと来た方、なんとかして子供を預けてきてくれた方、地元の活動家さんたち、農業関係者、食品関係者、医師、市議会議員、県会議員、関東からの避難者さん、児童養護施設の寮長さん、学校関係者、三重県からお越しの方、豊橋以外に、田原、豊川、新城、話した方だけでも岡崎、豊田からも・・・

時間の関係で会場設定に難航し、告知期間は10日ほどしかなかったけれど、最終的に86名のご参加がありました(危機意識の薄い豊橋において、また、ふだん避難者が多いという木下さんの講演で、地元の人たち中心という客層はすごいことだそうです)。社会状況はたいへんだけれど、会を主催した者として、率直にうれしかったです。講演会で知ったお役立ち情報的なことは、次にまとめます。

今回は、自分の自由な思いで、木下講演にまつわることを書かせてもらいます。

 

**********

 

肉声というのは大きいものだな、と思った。講演会から一日空いた今日でも、木下さんの話し方や声の響き、言葉の数々が脳裏に焼き付いている。

最初彼が草の根運動的に講演会を始めた時、思いはわかるけれど、なぜそんな手間を払うのだろうとも思った。色々言う人がいるみたいだけど、彼は本当に金儲けで動いていない。彼なりの使命感と厚意で、実費のみで全国行脚している。

実際講演を生で見聞きし、彼の活動の本意や、講演というのがいかに大切なものかを実感した。

まず、この問題は、日本全国地域によって必要とされる情報や対策が異なる。福島原発の状況も放射能汚染も政府の対応(進まないし、むしろ悪い方向のことばかり進めている)も、刻々と変化している。木下さんのところに集まってくる情報や、汚染や健康被害の状況も日々の蓄積がどんどん高まっていく。そんなわけで、まったくもって、木下の持っている情報というのは生ものなのだ(木下、と書いた方がしっくりくるところは申し訳ないけど敬称略で)。

木下自身が今、歩くメディアと化している。

そしてそのメディアは、正しくて必要なものだと私は信じる。

彼の喋りはとても迫力があり、内容も厳しいものなので、初めて触れた人は圧倒されるだろう。現に「ショッキングでした」と書いてきた参加者もいる。でも、これが現実だ。私は彼の迫力を出会った時から知り、訴え続けている内容をブログで毎日読んでいるので免疫があるけれど、講演の主催者として、彼をよく知らない参加者との温度差をどう埋めたらよいか、少し心配していた。

しかし、結果的には大丈夫だった。講演は本当に自然発生的な大拍手で結びとなった。最初は圧倒されていた人もいたが、最後には会場全体がひとつになっていた。

木下が放射能の危険性を訴え、あの場所はNG、あの食べ物はNGと半ば切り捨てていくように感じられる展開だったが、終盤、そもそもの彼の思い「命を救いたい」という姿勢が明らかになったからだ。

チェルノブイリの事故の時、誰も住まなかった強制移住区域ほどの放射線量の場所に、今も住んでいる福島の人達がいる。

彼は「場所は動かせなくても、人は動かせる。人の命は救わなくちゃいけない。場所にこだわることはない。場所にこだわる人がいるから遅れていくんだ」と熱弁した(もっと簡潔な素晴らしい言葉で)。この持論はまったくもって正論で、会場みんな感動していた。私も涙が出そうだった。できないから仕方がないのではない、命のためにできないことなど本当はないはずだ。彼は「自分一人が逃げるわけにはいかない、という考えがダメなんです。自分だけで逃げてください。大切な人を連れて逃げてください。人間は放射性物質には勝てないんです」と言った。これもまったくその通り。その言葉の意味を、実際に健康被害が起こってから実感するのでは遅いのだ。何が起こるかわからないからこそ、最善を尽くして近寄らない、逃げておくというのは、大切だし、生きものの本能として自然なことだ。

土地柄場所柄、どうしても危機感にムラのある豊橋で、木下が「豊橋」という単語を口にしながら話をしてくれたことは大きかった。みんな目が覚めたし、連帯感や結束感が生まれたと思う。

 

ここで、講演会までの経緯と、前日当日の裏話を書いておきたい。

 

5月に木下さんと久々に電話で話し、豊橋でも講演してもらいたいと思い立った。夏休み明けの9月、本格的に動き始めた時、(講演に限定した意味での)仲間は一人もいない状態だった。

そこで、元々信頼していた市議会議員に相談し、Nちゃん、Mちゃんを紹介していただき、その流れでまずは給食要望書作業へと突入した。

そして、要望書を市に提出したことが新聞に出たおかげで私たちの存在を知ってくれた「なぶちゃん」がfacebookからメッセージをくれた。

なぶちゃんは、放射能防御プロジェクト中部の木下講演に2回行ったことがある人で、私のブログを読み込んで、すっかり私の支持者となってくれた。実物の木下を見ているなぶちゃんの存在はとても大きく、二人で、木下さんを広く受け入れてもらうには、どのような会場設定、チラシ内容、告知方法を取ったらいいだろう?と相談しながら進めてきた。おまけに、なぶちゃんはチラシが作れ、講演会のセッティングも仕事で経験している分、実務的にとても動ける人であった。

会場設定に難航し、告知期間は10日ほどしかなかったけれど、集客には、給食のおかげで知り合ったこの地域の活動家さんたちの人脈もとても大きかった。

元々の木下さんの活動に加え、「豊橋・いのちと未来を守る会」の給食要望書提出、そして、ちょうど市が動いてくれたことが大きな説得力やみなさまの関心となり、盛会につながったのだと思う。

つまり、たった1人で始めようとした講演会だったのに、この2ヶ月の間に新しく出会ったみなさんの大きな力をお借りすることができた(書きながら今、感動して泣いている)。

みなさんにいっぱい支えてもらって、木下を豊橋に呼び、よい講演会にすることができた。というか、不思議な追い風がびゅんびゅん吹いてくれて、怒涛の波や風に乗っているうちに、ここまで連れて来てもらえた、という感じ。

 

もうひとつ、とても大きかったのは、前日発生のトラブル?をクリアできたこと。講演会の前日、礼儀として木下に様子を伺ったところ、連日の講演会行脚で、実は体力的に厳しいとのことだった。

講演会当日は、関西からあま市(愛知県の西寄り)→豊橋市(同・東寄り)という車移動とダブルヘッダーでの講演をこなし、夜のうちに、翌日の柏講演に備え、東京へ移動することになっていた(その行程のたいへんさは、当初からお互い把握していたけれど、現実として目の前にした時、想像以上に厳しいということを連日の疲労もあって、木下が実感したのだと思う)。

木下が要求してきたのは、「あまから豊橋まで、自分の車を運んでくれる人はいないか」ということだった。体力の温存のため、自分の運転で移動するのではなく、電車か誰かの運転で移動してくる。ただ、距離的に時間が間に合うか心配なため、自分の車に関してはそれのみ、東京へ出発する時間までに豊橋に届けてもらえたら助かる、という内容だった。

それを最初に聞いた時は、そんなの無理だよ~~!!って私の方が泣きたくなったが、木下が友人だからこそ私に頼ってくれているのか、木下のたいへんさももちろんわかるので、「わかった。二人思い浮かぶ男友達がいるから、まずは聞いてみる」と言って電話を切った。

二人とも元々講演会の手伝いをしてくれることになっていた。一人目、トラックの運転手をしているSくんに聞いたが、子供の学校行事があるためNG(父子家庭でがんばっている)。二人目、いつも頼りにしているYちんに聞いたところ、なななななんと!「豊橋で気持ち良くしゃべってもらいたいから、引き受けるよ!」との返事。

Yちんも、映画祭などでイベントを企画した経験があるため、主催側の苦労がよーくわかっているのだ。

Yちん、かっこいい!!惚れる!!!と思った(実際「一発やらす!」と叫んでしまった:笑)。

そして、木下に「一発やらすとまで伝えて、OKもらったから大丈夫」と恩を着せると、彼は心底安堵した声で「ありがとう」と言った。

つまりはそのくらい、ギリギリなことをしているわけです。

無理難題にも驚いたけど、すぐに解決できた自分自身やYちんのやさしさ、懐の深さに感動した。

(さらに言えば、Yちんが抜ける受付の穴を埋めてくれた別の男友達たちの動じない空気にも頼もしさを感じてうれしかった。実際、ママ友たちは子供第一が当然なのでお願いできなかったし、男友達にかなり助けられた)

 

当日、果たして木下が到着したのは、豊橋での講演開始時刻10分前。

お客様が続々と集まる会場で、壁の時計を見ながらドキドキしていたが、到着に私も安堵した。

彼の疲れを心配していたけれど、運転の不安から解放されたおかげか、ノリノリの状態に見えた。

12年前に東京で会った人と、豊橋で、このような社会状況下で再会するというのは不思議な感慨がある。

ともかく、実物の木下は、大きなエネルギーに満ちていた。

彼がそれなりに良い心身の状態で、講演会場の舞台の上に立てたことは本当に大きい(陰の最大の功労者Yちん&同行してくれたBくんに大感謝)。

その他にも、私は人間が小さいのでここに記すけど、夕食がどうなるかわからない木下さんのために、炊きたてのご飯でおにぎりを15個にぎっていった。スタッフの誰が夜食にしてもいいと思い・・・。お米は私の実家のお米、昆布は放射能検査してあるメーカーのもの、梅干しは昨年のお隣の梅を漬けたもの、海苔は昨年のもの等お伝えして・・・。

お寺の給湯室に迷惑はかけたくなかったので、熱いお茶(万能茶、茶葉は九州産)もポットにたっぷり入れて、湯のみと、講演時用のお水(なぶちゃんがフランス・エビアン用意)用にグラスもお持ちした。講師に紙コップやペットボトル直飲みはさせたくなかったので、自己満足ながらも配慮。私は奥ゆかしくない女なので、それをありのまま木下さんに伝えたら「さすが!」と言ってもらえた。彼が心を大切にする人だとわかっているから、精一杯の誠意は見せたかった。気分はADとゲストであった(実際その通り)。

会場がお寺だったおかげで、講師控室として畳のお部屋が借りられ、お茶で和んでいただけた。講演終了後はおにぎりを食べてもらい、東京移動の夜食にもしてもらえた。計測機器会社の男性も帰りにおにぎりを持って行ってくれて、最後にはお腹ペコペコのなぶちゃんと車の中で食べた。

 

講演会終了後、木下さんとお茶をした。計測機器会社の男性と私と三人で。

初めて会った時から木下さんにはなぜだか自由にふるまえるのだけど、12年ぶりに会っても同じだった。奔放にふるまっても「この人、作家だから。日本人じゃないから」って感じでゆるしてもらえる。事実、私が彼と初めて会った時は、処女作が群像新人賞で最終に残り、作家目指しちゃおうかな~というタイミングで、本になる前の原稿を読んでもらったりもした。小説というのはどうしてもトガっていたり、自分の陰の部分が込められているので(子宮の病気の話だったし)、その分、彼にとっての私の印象は、本来の素直さや大らかさと同時に「小説世界」のシャープさやエキセントリックさも抱き合わせで残っていたようだ。なので、私自身は何も変わってないつもりなのに、しきりにパーッと明るくなったみたいに言われ、そうかな?と思っていた(笑)

講演後の彼らの話の中ではふつうに「遷都」というキーワードが出ていた。SFでも、妄想でもなく、日本地図が描き換えられていく気がした。

その後はずっとプライベートの話。楽しかった。

彼が私に言ったいくつか。

「あなたが今、どんなに充実してるか、よくわかったよ。うらやましい」

「年を重ねてよかったんじゃない?」

「人扱いがうまくなった」

私が彼にキャーと抱きつきたくなるくらい親愛の情を抱いてしまうのは、彼が出会った時から動物っぽいから。

そう伝えると、「あなたも動物なんだよ」と返って来た。

彼も私も、動物的な本能や直感で今動いている。その感覚はとても正しい気がした。

彼が私に変化を感じたとしたら、その最も大きな理由はやはり、お母さんになったことだろう。

母になって保守的になるかと思ったら、子供の成長とともに、年々、自由になっていく自分を感じる。

そして、木下さんには、キョーレツな父性を感じた。

彼の活動について、「立派だね」と伝えたら、「俺は立派じゃないよ。日本人がおかしいんだよ」と言った。

ああいう、命を救うためには有無を言わせない、高圧的かもしれないけれど、ある種の「父性」ほどの強さが、今の日本には必要だと思う。

何が何でも妻子(大切な人)の命を守るという強さや深い愛情が・・・

 

あまりに主観的に書いたので、最後に、市議会議員さんからいただいた講演会の感想を抜粋。

<昨夜の木下さんの講演内容は、5分の休みをはさんだだけで、2時間半が集中・熱中して過ぎました。参加者の皆さんの気持ちがひとつになっていました。それほどインパクトがあり、有無を言わせないだけの、事実と確信にあふれたお話しでした。その人を信頼できるから、その人の言葉を心強く感じるのだと思いました。

今、日本で一番必要とされている、一番真実であり、最大限の放射能情報をお伝え下さったと思います。

このことを知った上で、自分がどう判断するかです。>

 

豊橋のことも少し出てくる、木下ブログ・柏講演の話

なぶちゃんが書いた、会のブログ

 

さて、感受性の強い私は、こうして自分の思いを吐き出してまとめないと、次に進めない時がある。今回私は自分のために書かせてもらった。

講演準備にまだ難航していた時伯父が亡くなり、右往左往してる私に、チベット仏教のお坊さん(放射能防御プロジェクト中部代表の方)が、FBでこうコメントしてくださった。

<Fujimuraさん、喪中の慌ただしい中、豊橋での会の準備にご苦労様です。この利他の行いが伯父様の何よりの供養だと思います。>

これを読んで私は思わず泣いてしまい、意識してなかった利他の行いについて考えてみた。

今回のブログ、私は完全に利己の意識で書いた。

そう思うと、日々数々の葛藤や感動があるだろうに、それらを度外視して、みんなにとって有益な情報を自らに課して発信し続けている木下さんは、まさに利他の行いをしていると痛感した。

 

木下さん、ありがとうございました。またきっと、会えるね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-28 23:11 | 豊橋 いのちと未来を守る会

感謝☆

 

あまりに忙しくて、出会えた喜びと感謝を書くこともできないまま来たけれど、今、講演会や、いのちと未来を守る会の活動に、新しく参加した「なぶちゃん」が文字通り片腕となって手伝ってくれている。

感謝しても感謝しきれないし、恋人のように共有したい気持ちが多くてびっくり!!

昨日は一緒にラジオに出たあと、オヤジ飲みにもお連れしちゃった。

子供たちも最初から大好きななぶちゃん♪

昨日も歌った記念の歌を贈ります。

「うれしい!たのしい!大好き!」

ちなみにその他歌った歌、色々あるけど、やっぱり「天城越え」は生涯かけて極めたいと思ったよ!

 

ありがとう。ありがとう。あとちょっとがんばろう。そして、末永くよろしく!

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-24 10:11 | 友達

FM豊橋出演のお知らせ



おはようございます。今日午後2時20分頃からFM豊橋に仲間と出演します。

木下黄太さん 講演会のお知らせと(Information参照)、「豊橋・いのちと未来を守る会」の活動について。

放送エリアの方(狭いけど)、よかったらお聴きください!
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by hihararara | 2011-11-23 01:11

赤土に咲くダリア

 

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自分で書いてみて、懐かしさすら感じるタイトル。

4年前に出した2冊目の小説です。

先月facebookで知り合ったばかりの宮崎在住の憧れの女性が、素敵な感想を送ってくださいました。それだけでもうれしいのに、感想の中でびっくりするような共鳴があり、そのことについてやりとりしたメールを載せたノートを書いてくださいました。ご許可いただき、以下に転載!

お互いにこういうシンクロニシティを経験する方だけれど、そういうタイプが、(自分で言うのもなんだけど)澄んだ心で関わり合うと、びっくりするようなことが生じ、驚くと同時に納得です。
こういう感覚を私は「魔女修行」と呼んでるけど(笑)、これからもビンビン磨いていきたいです。みこさんには、お医者様の息子さんがいて、さらにはお孫さんもいらっしゃいます。美女で、驚くほど美しい写真を撮るお方。女としても母としても憧れる存在です。私もみこさんみたいに素敵に年を重ねたいです。本当にありがとう♡

 

**********

 

実は今日は、皆さんにぜひご紹介したい本があります!

「赤土に咲くダリア」日原いずみ

 

私が学生の頃一番なりたかった職業は「作家」、次は「写真家」でした。

そして今、写真家のお友だちはたくさんいますが、

このFBを始めて、何と嬉しいことに現役の作家さんとお友だちになりました。

素敵な人との出逢いは素敵な人から繋がります。

私の美的感覚をとても刺激し共感し合え、

そして私がとても惹かれているある友からの繋がりなのです。

出逢いは突然でした!

彼女が天性の勘と嗅覚で私を見つけてくれました。

「はじめまして」のメールの様々な言葉から、既に私たちは繋がっていたことを感じました。

正しくシンクロニシティ(共振)の連続でした。

そして、私は彼女から「すでに大好き」という嬉しい「愛」の告白までもらったのです。

彼女が男性だったら、もう私は間違いなく「恋に落ちた」に違いありません(笑)

そんな今一番大好きで、そして情熱的な可愛い女性

「日原いずみ」さん(ペンネーム)の著書、

「赤土に咲くダリア」

ここで私と彼女との往復書簡(メール)をそのまま、皆さんにお伝えした方が

リアルに感じてもらえるのでは?と想い、ここに記します。

(ご本人の許可を頂いています)

女性はもちろん、女性が大好きな男性諸君にもぜひ一読して欲しい一冊です。

情熱的な真っ赤な一輪のダリアのようなあなたに出逢えて、私はとても幸せです!

 

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みこさんからまーちゃん(著者)へ

 

まーちゃん、こんにちは!

「赤土に咲くダリア」読ませていただきましたよ。

一気に読みました。

皆さん、いろいろと感想を述べられていると思いますが、

重複するかもしれませんが、私からも・・・

まずは題名、『赤土に咲くダリア』フリーダ・カーロの

イメージと見事に重なるということ!強く惹かれましたね。

小説を読み終わったというより、ナイフで切り裂かれた、

そしてそこからは血しぶきさえも感じる、でもその傷口が

なぜか愛おしい・・・

そんな一枚の絵画を観てしまったような感じさえもしました。

まーちゃんも私も好きな新川和江さんの一遍の詩「わたしを束ねないで」と

表現さえ違えど、根底の「女」としても想いは共通してると思いました。

ただ取り繕った一般的な常識的な人

(表現が難しいのですが・・・でもそんな人に限って

無意識の領域では望んでいると、私は思っているのですけどね 笑)は

受け入れがたいというか、認めたくない内容が多々あるように思えました。

20代30代と私の生き方とは違っていますが、随所で共感できる箇所がありました。

そして出産という女にしか与えられていない神々しい出来ごとの意味も。

とにかくすべての女性に読んでもらいたいと思いました。

女の生き方はひとつじゃないんだよ!ってね!

そして物語の終わりに、あるメロディーが聴こえてきたのです。

それは意外にも穏やかで哀愁を帯びたメロディー

『MERANCOLIA 忘れかけた面影』中島ノブユキ

 

喪失感というものの持つ甘美さに心惹かれる。

彼の音律は、どこか懐かしく、

「アルゼンチンの路地裏を思い出す」と言われますが、

この曲には失われた何かを呼び起こすものがあるのです。

私的には若いころ訪れた、ポルトガルの旧市街の石畳の風景かな~この心地良い音楽の調べの中に、私は大輪の真っ赤なダリアを確かにみたのです。

とにかくこの小説を読んで生のまーちゃんに無性に逢いたくなったのは本当ですよ~

で、FBでもぜひ皆さんに紹介したいんだけど・・・

よろしいですか~

「大地に根ざしたエロス」を持ち続けたい

みこさんより☆

 

まーちゃんから(著者)からみこさんへ

 

(このメールは、みなさんに向けてコピーしてもらいたいくらいの衝撃です)

みこさん、あなたはやっぱり巫女です!!

今すぐ逢いたい!!今すぐお話したい!!

(今、伯父のお葬式から子供を迎えに一度帰ってきた家で書いています)

みこさんがご紹介くださった、中島ノブユキさん、

実はまさに、彼のファーストソロアルバム『エテパルマ』の

音楽に触れた体験が小説の後半部分をつくっています。

中島さんとはお会いしたことないですが、メル友です。

『赤土に咲くダリア』に出てくるチェリストは複数の人たちをモデルにしていますが、

作中で抱きしめられるように主人公が聴いている音楽は、

他の誰でもなく中島さんの音楽なんです(本人にも伝えてある)。

中島さんの音楽、私も素晴らしいと思っていますが

(みこさんの言うとおり、旅を思い起こさせます。

私にとっては南フランスやスペインの路地裏かな~)、

中島さんのことを知る人は少ない中で、

この小説を読んで、中島さんの音楽を想像してくださった

(というよりドンピシャで言い当ててくださった)のは、みこさんが初めてで、正直震えますよ(笑)

とにかく奔放な女が書きたくて今となっては、

母性や女性ホルモンに支配された青臭い小説ではありますが、

よかったら、自由にご紹介ください。

うれしいです。

私たち、すでにつながっちゃってますね(笑)

 

そうそう、「大地に根ざしたエロス」という言葉も、

まさに、それが編集者の最初の依頼でした。

そこをちゃんとピックアップしてくださるみこさん、さすがです!!!

 

*********

 

みこさんとの、このやりとりの後、思いつきで中島さんのことFBで検索したら、いらしたので、さっそくお友達になり、ご報告!

中島さんの最近は、ジェーン・バーキン北ヨーロッパツアーに同行していた。

震災後のチャリティーコンサートでジェーンが来日した時、中島さんがピアノを担当し、その時確か、「マエストロ」と称賛されていたのでそのご縁だと思う。

すごいすごい中島さん♪

そして、ジェーン・バーキンも私にとっては昔から特別な人で、上記みこさん、そして、ジェーンといった、すでにお孫さんのいる二人のブリリアントな女性が、私の中でつながったのでした。

なんだろな、元々人とつながったり、シンクロニシティはたくさん経験する方だったけれど、ネットのおかげで、アンテナが反応し、つながっていくダイナミズムが目に見える形で記録され残っていく感じ。

その上で、決してハイテクとかバーチャルではなく、すごく根源的に、霊的につながり合えている確信があり、とても温かい。

それにしても・・・

感度の高い、旅慣れたオトナたちの、中島さん支持っぷりったらすごい!私に最初に中島さんのCDを教えてくれたのは植島啓司さんです。

中島さんの音に出会わなかったら、『赤土に咲くダリア』は『赤土に咲くダリア』じゃなかったと思う。あの頃の育児真っ盛りだった私は、中島さんのCDを聴く時間を確保するために早起きするほどでした。

 

みこさん、中島さん、そしてジェーンも植島さんも(笑)、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-20 12:11 | 表現・創作

学習発表会

 

今日は小学校の学習発表会でした。

昔の学芸会と違い、うちの小学校は、まさに学習の発表という感じのこぢんまりとした会を行っているけど(1~3年生教室、4~6年生体育館)、今年は創立60年記念で、全校児童が体育館で発表を行いました。

 

私の自慢は、幼稚園でも小学校でも行事の場所取りをしたことが一度もないのに(オープン記念とかで並ぶのも苦手)、子供の出番になると、一番前の席の人(友達だったり初めて会ったり)がさささっと招き入れてくれて特等席で観せてもらえること。持つべきものは友!である。

てなわけで、今回もよい席で息子たちの歌や演技を観ました。

1年生がみんなで歌ったのは、この歌。「あしたははれる」(以下、どれも子供の歌声にはかなわないけど、私にとって比較的よかったYouTube)

http://youtu.be/tbinEmu01nE

 

長男は、劇というか、昔の子供たちの遊びに触れた社会の授業の流れで、「シェーッ」のイヤミ役をやりました(笑)自分で作った出っ歯付けて、「驚いた時にはシェーッ!、悲しい時もシェーッ!・・・みんなで一緒にシェーッ!!」と堂々と演じましたよ。親子とも笑われて(笑わせて)なんぼの人生です。

4年生は、女子の指揮とピアノ伴奏で「マイバラード」

http://youtu.be/1AgkUy3fPNc

 

毎年のことだけど、子供たちの澄んだ歌声を聴いていると涙がポロポロ出てくる。子供って、なんてまっすぐなんだろう!って思う。

しかも歌詞がとてもよくて、特に、「あしたははれる」は今調べたら、幼稚園時代に聴いていいなと思った、「虹のむこうに」と同じ坂田おさむさんの作詞作曲だった。

坂田さんは、昔の歌のお兄さんで、今出てくる姿を見ると、おじさんなのかおばさんなのかわからない感じのキュートな人。「虹のむこうに」を作詞作曲した人という一点においてだけでも私は相当尊敬していたけど、「あしたははれる」もなんて、スゴイ。

「虹のむこうに」

http://youtu.be/B0VJZyptREQ

 

前向きな歌詞を前向きに歌う子供たちを見ていると、絶対にこの世を守りたいと思う。

迷いなく未来を信じている子供はとても自然で正しい。その正しさを環境のせいで歪めては申し訳ない。

毎年のことながら、そんな初心を思い返す、素晴らしいひと時でした。

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-19 12:11 | 小学校

「圭ま吾新聞」

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(前回のつづき。また長いです)

お通夜~お葬式で設置し、気づいた方には持っていってもらった伯父の孫ちゃん制作の「圭ま吾新聞」。

できがよろしいので新聞社が作ったのでは?と言われるくらい素敵だったよ!!この新聞、随所に遊び心満載で、例えば広告部分にお世話になった「イズモ葬祭」が出ていたり、新聞の下の方の広告に見える部分はなんと、伯父が通っていた病院の診察券なのです。

通夜・葬儀で400枚が完売しました(売ってないけど)。

私も左上の記事に参加させてもらいました。

その内容をここに転載します(このブログのシステムの都合で、段落ごとの書き出しに一マス空けられなくて残念)。

 

***********

 

亡くなる10日前にお見舞いに行った時、圭吾さんはいつもの力強い声で「まだ死なんでな!」と言った。私も「伯父さんとまだ語りたいことがあるんだからね!」と言って別れた。お互い笑顔だった。

圭吾さんは私の父・正信の兄で、父の13歳年上。父の兄弟は、長男の隆、次男の圭吾、四男邦香、五男正信で(姉や兄もいたが早々に他界)、隆から正信までは17歳の年の差がある。私が物心ついた時には圭吾さんはすでに「社長」で、とても勢いのある伯父さんだった。

私の父は、子供のなかった渥美の本家(父たち兄弟の父親の生家)に成人後に養子として入った。それまでも苦労が大きかったようで、「父が高校に行けなかった(15歳で横須賀の少年工科学校へ入った)のは、「隆さんが結婚し、狭い家での同居が難しかったから」とか「圭吾さんが放蕩し、家の着物や靴を売ってしまってお金がなくなったから」など聞かされて育った(笑い話として)。なので、社長として華やかにふるまう伯父のかげには、私の父の苦労があるんだぞ!と子供心に思っていた。

でも、当の父は、圭吾さんについて悪く言うことは決してなかった。いつも「圭吾がなあ」と伯父の武勇伝を楽しそうに語ってくれた。年が離れているせいもあるだろうけれど、藤村四兄弟は不思議な尊敬で結ばれていたように思う。

私自身は、地元マスコミで活躍する伯父たちを過剰に意識し、「私は絶対全国ネットの仕事をする!」という野望を抱いて東京へ出た。実際に、テレビや美術の仕事を経て小説を書くに至ったが、振り返ってみれば、実の両親よりも伯父たちを意識して進路を選択してきたように思う。

ローカルをばかにしてふるさとを飛び出した私だったが、自分だけの表現を求めようと思えば思うほど、ふるさとへ戻りたくなった。豊橋へ嫁ぎ、子供が大きくなると、地域に根づいた活動が不可欠となった。今の、日本の危機とも呼べるような状況においては、子供たちのためにまずは地域の未来を守ることの重要性をひしひしと感じている。

ローカルに生きた伯父だったが、スケールは大きかった。伯父が地域で成したことの尊さを今の私はようやく素直に認められる。

伯父と、一人の大人として、地域人として、もっと語りたかった。まだまだ生きようとしていた伯父の代わりに、とは言えないけれど、ローカルのためにがんばろうと今は本気で思う。ともかく、楽しくて華やかで仲間思いのかっこいい伯父だった。知らず知らず受けた影響が大きかったと、亡くなった今気づいた。

また会えると信じて病室で敢えて伝えなかった言葉を言います。伯父さん、ありがとう。

 

*************

 

自己満足(身内満足)ではあるが、素晴らしかった孫ちゃん(あやかちゃん)の文章より

<おじいちゃんの一番の魅力は、楽しく生きることへの強い気持ちだ。病気をしたって負けずに楽しむ。人生に立ち憚る壁のような困難たちを、まるでエンターテインメントを楽しむような姿勢で挑む。>

<祖父と孫、どこにでもあり得る関係性の中で、あたしの人生が煌めくヒントをたくさんキラキラ塗したまんまさよならしました。生きる力を満タンにしたまんまおじいちゃんは、死んでいった。ずっとそんなおじいちゃんの孫なのが恥ずかしいくらい、浮かばれない自分自身だったけど、これからはじいちゃんの分、さらに日々笑って笑顔で、人生はいつもファイティングポーズで、挑んでいきたいなぁと感じている。ありがとう、おじいちゃん。(孫・絢香)>

そして、今回の編集長さん、さえちゃんの文章より・・・

<・・・しかしながら、我が祖父は何の躊躇もなく、携帯電話からiPodからiPad、そしてeメールで充分かと思いきや、ビデオにデジカメ、なんと写真付きのブログまで真似をしてきた。・・・・・ >

 

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←斎場のメモリアルコーナーを、一から作り直している喪服(黒幕) シスターズ(笑)

 

 

 

 

今までちょいちょいと会ったことのあったあやかちゃん&さえちゃん。そこはかとなく(自分と)顔が似ている二人と、今回楽しい時を過ごした。

二人ともそれぞれに個性があり、また、一見飛んでるように見えるけど、全体のことをとてもよく見ていた。何よりも、みなさんの心にとても敏感で、繊細でやさしい感性の持ち主だなあと感心した。

とかく形式が重んじられがちな通夜葬儀にあって、彼女たちの自由な心を許してくれる度量が亡くなった伯父にはあり、なんだろなあ、異端児こそが本質を突いてるんだよなあということを改めて思った。自分も含め。

通夜の前にメールで知らせた先輩に、

<より濃くDNAを受け継いでいる姪として しっかり、おつとめしなさいね。>

と書かれて笑っちゃったけど、圭吾の多面的な遺伝子の中の「おかしな部分」を、あやか&さえ、そして、姪の私はもらっちゃってるなあと思った。

 

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(後日談の後日談)

 

葬儀の4日後、私は元々の予定で、地元のスロータウン映画祭のお手伝いに行った。

『英国王のスピーチ』上映に合わせ、お客様(スポンサー様)として、地元の重鎮・神野信郎さん(会社の長であり、公の要職も歴任)がいらした。伯父とは同じ幼稚園に通っていた頃からのご縁だったので、すかさず歩み寄り「藤村圭吾の姪です。伯父がたいへんお世話になりました」とご挨拶したら、「残念だったね~」と、やさしい表情で返してくださった。

そして、「お孫さんの作った新聞、素晴らしかったね!」と。

エレベーターに乗り込むほんの短い間に、突然姪と名乗る私に話しかけられた時のとっさのこの反応に、私は感動した。

「ありがとうございます」と見送った後、私は涙が後から後から出てきた。

新聞が置いてあることすら気づかなかった人も多かった中で、大げさではなく地元の経済界のトップと言えるお方が、ちゃんと読んでくださり、その上、短い間にそのことに触れてくださるという感性や心配りに感動したのだ。

伯父が確かに生きた時代があったのだな、という思いや、地元のトップが素晴らしい方でよかったという思いなど、いろいろ溢れて、その後しばらく泣いていた(泣きながらエレベーターを押し、会場誘導:笑)。

その日の映画祭のお手伝いでは、伯父を悼んでくださる方ばかりで、ありがたかった。

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☆更新当初ここに書いてあった分は、事情につき割愛です!(ゴメンナサイ11/18)

 

見知らぬ方がブログに載せてくださっていた、圭ま吾新聞等々(私のブログまで・・・ありがとうございます!)

http://ameblo.jp/kayuuchi-1/entry-11073351419.html

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-15 07:11 | 家族

木下黄太講演会 in 豊橋

 

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今日から申し込み受付開始しました。

Informationコーナーをご覧ください。

http://www.l-t-m.net/blog/information/129

 

しばらくこちらの対応に追われるので、ブログのコメント欄は休止します。

今までの分へのご返事はお書きします!

(圭ま吾新聞の話は絶対書きたいのでまた☆)

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-14 11:11 | 豊橋 いのちと未来を守る会

どうせ死ぬならパラダイス

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お通夜の日の昼間、お孫ちゃんの作った号外的新聞とメモリアルコーナーの展示のお手伝いをするために斎場へ向かう時、曲がり角に出ていた「藤村家」というご案内看板を見て泣きそうになった。「ああ、本当に伯父は亡くなったのだな」「ああ、私は確かに藤村家であった」・・・

きれいな祭壇を見て再び泣きそうになったものの、その後はからりとした気持ちで準備や通夜を過ごした。

明けてお葬式。弔辞を四人の方が読んでくださったが(追悼文など、細かい正式の呼び名は??)、その間中私は自分でもびっくりするくらい、ずっとだーだー涙を流していた。

お一人目は、葬儀委員長を務めてくださった元国会議員(肩書は元内閣府副大臣)の山本明彦氏、お二人目は、中日新聞社代表取締役会長の白井文吾氏(赤羽根~成章高校ご出身とのこと)、三人目は全国郷土紙連合会の会長で、長野日報社社長の佐久秀幸氏四人目は伯父の高校時代の同級生の方で蒲郡信用金庫相談役の山本さん(時習館高校2期生、JJ会)。

先方の強い希望で、という方もいて、最初は形式的な文章かと思っていたが、見事に四者四様の、伯父に対する熱い気持ちを読み上げてくださり、感動した。すべての文章をここでお伝えしたいくらいに素晴らしかった。私が知らなかった伯父の側面を教えてもらうと同時に、伯父の生き方やよそ様から伝えられる人柄にあまりに共感することが多く、ずいぶん年の離れた伯父のことをまるで分身のように感じた。

驚いたのは、元気の塊に見えた伯父も、いつも病気を抱えていた、ということ。孫ちゃんが言うには、いつも大量の薬を飲んでいたらしいし、山本さんが弔辞で言うほどに認知されていたなんて、身内なのに知らなかった。

明るくて朗々飄々としていて、病気のかげなど微塵も見せなかったのに、笑顔のかげで人知れず不安と闘っていたんじゃないかなと思ったけれど、山本さんも「心配、不安とは無縁に見えた」とか孫ちゃんも「完全に前向き、楽天的だった」と言うので、それはそれでますますスゴイと思った。

だいたい、無茶苦茶なこといっぱいしてきて、80歳まで生きている伯父がおかしいし(笑)、精神力の強さと、後は本当に「病気さえ楽しんじゃえ」っておそらく凡人が思う以上にいい意味で「どーでもいい」みたいな豪放磊落さがあったと思う。

伯父を表する「行動の人」「話好きでみんなを楽しい気持ちにさせる人」「笑顔」「落ち込んだ気持ちで会いに行っても、いつも明るい気持ちになって帰れた」「藤村不死身」等々は、僭越ながら人様の自分評にも当てはまっていて、通夜や葬儀に集った親戚たちの空気を見ても、エンターテインメント系な家系なんだなと思った。みんなよくしゃべるし、話が長いし、サービス精神にあふれている(笑)

郷土新聞紙連合の会長さんの言葉は、本当に伯父への尊敬と感謝の気持ちが痛いほどこめられており、同級生の山本さんが節付きで高らかに読み上げたような内容には、震災や戦争や空襲で日本全国、豊橋も相当痛めつけられ、そこから一致団結して這い上がってきた世代の結束と、並々ならぬ力強さを感じた。

本当にすごい時代を生きてきて、私たちの今の暮らしをつくり上げてきてくれた世代なんだなあと感心したし、私は、現在も完全に戦後(違った意味での戦争下)のような状況にあると思っているので、私たち世代や、申し訳ないけれど、子供世代も、底力を出してがんばらなくちゃいけないと思った。

通夜もお葬式も、弔問に来てくださった方々がたいへん多く、どのへんをさまよっているかわからない伯父もさぞやうれしかっただろうと思う。

 

それにしても・・・

対象との距離感によるところは大いにあるけれど、今回の伯父の遺体は、私にとっては完全に亡骸という感じだった。伯父を伯父たらしめていたのは、伯父の魂であり、通う血であり、まさに伯父の命、印象的に頭にこだましていたのは伯父の力強い声だった。

これが一緒に暮らした家族だったり、わかりやすく言えば身体を重ねた恋人だったり、故人の「肉体」を間近で感じる機会を持った相手だと違ってくるだろうけれど、以前は強烈に悲しい瞬間だった棺の蓋を閉める時や、出棺、火葬場でおかまに入れられる時というのが、年々実体(実態ではなく故人の実体)のない儀式に思える。

私は田舎の大家族で育ったことや、父も母も五男・五女という末っ子だったため、割と幼い頃からお葬式をたくさん経験してきたけど、完全に転機となったのは、島根県に住んでいた25歳の時経験した、当時の恋人のお兄さんの死によってだった。

私にとってはそこまで近くない相手だったことと、アーティストの恋人が兄の死というものを克明に見ようとしたり記録しようとしていたこともあり、私もそばで「死」を観察していた。人が亡くなる瞬間に立ち会ったのはその時が初めてだったし(今もその時だけ)、火葬場では、職員の方の裏話も聞かせてもらった。

その時冷静に客観的に「お葬式」を過ごせたことは本当に大きい。

人間はどうしたって、生きてるうちが花なのだ。

 

伯父は伯父の人生を生き切ったと思う。

まだまだ生きたかったとは思うけれど、強烈な生命力と精神力で寿命を延ばした気がしてならない。

社会的にもご立派な方が四人、それぞれに深い思いを抱いてくださったことを見ても、多面的な人だったと思う。

その上で身内から出てくる伯父の武勇伝はごろごろごろごろなわけで・・・

私も含めて、総じて「外面が良い」家系でもあるだろうけど、家族親族にそこまで恨まれることもないってのは、身内に迷惑もかけてるけれど、それ以上に愛情も注いでいるってことかな。

 

あ、上記の写真中、若き日のイケメン写真は「中国マフィアに命を狙われていた頃の写真」だそうです。

その上の(上から5枚目の)写真に写っているちびっこは私たちきょうだいで、小学校時代の私が抱いているのは伯父のお孫ちゃんです。

孫ちゃん達が作ってくれた「圭ま吾新聞」も素敵だったので、次回はその話を書かせてもらいます。

タイトルは、死を意識した伯父が息子に語った言葉より。

「どうせ死ぬならパラダイス、苦しまずに逝きたい」

その言葉の通り、眠るように亡くなったそう。

己の天命や生命を枯渇するまで使い切り、なくなってもなお搾り出して使い尽くした素晴らしい人生だったと思う。やるなー(やったなー)伯父さん!

 

 

 

 

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-09 11:11 | 家族

伯父の通夜

 

にぎやかなことを望む伯父らしく、今日の通夜も不謹慎でも楽しかったし、明日のお葬式もおもしろそう。

写真とともにまとめてゆっくり書くけど、今日は簡単に、不思議な流れの話。

 

伯父が亡くなる10日前にお見舞いに行ったが、たまたまその日は、給食要望書提出の翌日で、東愛知新聞にも写真入りの記事が出て、病院で伯父に見せた。

そして今日は、昨日ちょうど豊橋市長の定例記者会見が行われ、「学校給食の放射能測定実施」という見出しで、私たちの要望書にも触れた記事が一面に出た。

たまたま、読経の最後の弔問客として豊橋市長の佐原さんが、まさに忙しい中駆けつけてくれた、という感じでいらっしゃった。

通夜の儀が終わり、佐原さんのお帰りのタイミングで、私は自然に歩み寄り、「藤村圭吾の姪です。10月20日に、給食の要望書を提出させていただきました。市民のためによろしくお願いします」とご挨拶した。

(悔やまれるのはバッタバタで、せっかくの新聞一面も、中日新聞に出ていた県内版での記事もしっかり読んでなかった)

市長さんは「ああ、ちょうど記者会見したところの、だね」みたいに認識してくださった。

伯父の計らい、ってわけじゃないけど、タイミングがピタリピタリでびっくりする。

 

要望書提出→<新聞掲載→伯父のお見舞い>→伯父の逝去→(冷凍保存)→記者会見→<新聞掲載→お通夜→市長さんとお話>。

 

要望書の件がなかったら、市長さんを見ても何とも思わなかったと思う。

市役所勤務の親戚が「市長と知り合いなの?」って聞いてきたのが可笑しかった(笑)

 

 

 

 
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by hihararara | 2011-11-08 13:11

『サラダでげんき』のサラダ。

 

次男の国語の教科書に『サラダでげんき』というお話がある。

「りっちゃんは、おかあさんが びょうきなので、なにか いいことを してあげたいと おもいました」

という書き出しで始まる文章。

りっちゃんは色々考えた末、「おいしい サラダを つくって あげよう」と思い立ち、冷蔵庫を開けて材料を見て、サラダをつくりはじめます。

「きゅうりを トン トン トン、 キャベツは シャキ シャキ シャキ・・・」

するとそこに、のらねこがのっそり入ってきて「サラダに かつおぶしを入れるといいですよ」とアドバイス。てな具合に、犬やらすずめやら、あり、うま、ほっきょくかい白くまやら、飛行機でアフリカぞうまでやってきて、「ハム」「にんじん」「おさとうを少し」「うみのこんぶ入れろ」最後に「あぶらとしおとす」をかけて、でき上がり!

「りっちゃんの おかあさんは、サラダをたべて、たちまち げんきに なりました」

で結びになる、楽しくて美味しそうなお話。

長男の時も、同じお話が教科書に出ていて、このサラダを親子で一緒に作った。

私自身が子どもの頃から食いしん坊で、こういうお話を読むと、絶対の絶対に作りたくなるタイプだったので、子どもたちの「作りたい!」にも当然!という感じで一緒に。

で、今年の作品(お恥ずかしいけど、クリックで大きくなるので、動物たちのアドバイスの材料、ご覧ください)。

 

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次男とともに、ちゃんと、きゅうりをトントントン、キャベツをシャキシャキシャキって音立てて、お話の順序どおりに仕上げました。

長男の時も思ったけど、このサラダのポイントは昆布と鰹節だと思う!我が家は塩コンブを使います。

和風テイストで、本当に美味しいのだよ!!

 

・・・実はこのサラダ、作ったのは2週間くらい前で、ここに書きたいと思っていたけれど、あまりに忙しい日々で書けなかった。明日は伯父の通夜で、お葬式も不謹慎であるがおもしろそうで(弔辞4人。中日の白井オーナーも!)、そのことが書きたくなるだろうから慌ててUPしました。

ハムみたいな加工食品は、ふだんはあまり食べないようにしてるけど、子どもって本当にハム好きなんだよね。で、よくある伊藤ハムだったかの4パックものだったけど、食べる前に電話してちゃんと肉の産地を確認しました。オランダとかカナダとか、外国産が多いんだね。

キャベツも、愛知・田原産です。食材気をつけつつ、子どもと楽しんでいます。

 

「サラダでげんき」絵本も出ています。 文:角野栄子 絵:長新太の王道でした!

 

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by hihararara | 2011-11-07 11:11 |