フィクションという名のもとに自由に書ける小説とは違い、ブログは基本、ノンフィクションなので、今までも夫の「側」のことはあまり書かないようにしてきた。 そんなわけで、今回、中途半端な書き方になるかもしれないけど、自分のための記録として書いておく。 6年も寝たきり状態の義父が、12月になって何度か危篤状態となり、Xデーはいつなのか、という日々だった。 新しい予定を入れるのを控えたり、年賀状も、どう準備したらいいのか、という感じだった。 お見舞いに行って、おそらく先は長くないと誰もが思いながらも、「おとうさん、ありがとう」という言葉を口にすることはできず、ひたすら、心の中で義父に呼びかけた。 ちょうど、友達を介して考えるようになっていた「非言語のコミュニケーション」の時間だった。 触ったりさすったりには何の抵抗もないので、いつもお見舞いに行く時は、こちらのことがどこまでわかっているのかわからない義父の手や背中やおでこを撫でた。 呼吸が苦しそうだった時、私が背中をさすってはっきりと楽な様子に変化した時は、何かが通じたようでうれしかった。 結果的に最後のお見舞いになった時、私は頭と心で、ある場面を思い浮かべ、具体的に義父に感謝した。 『赤土に咲くダリア』はすべて事実ではないけれど、あの小説にも描いた場面、 ~そしてそのタイミングで、本当に不思議なことなのだが、玄関から義父が煙草を吸いながら出てきた。~ あの時は、本当にテレパシーが通じたと思った。 私はそのたった一点だけでも、生涯義父に感謝しようと思った。 理屈ではない「通じ合えた瞬間」というのが、たとえ単なる偶然でも、人生の支えの一つとなることはある。 私は病室で、その場面について、義父にしっかりお礼を伝えた。 義父にもしっかり伝わったような気がした。 夫は律儀に、昨年末に印刷して宛名まで書いていた年賀状を、元日を待って投函した。 私は元々のずぼらさから、いただいた方への返事を書いた。 途中で義父に何かあったら、文面を変えるべきなのか、など思いながら・・・ 結果的には無事にすべて、年賀状をお出しできた。 ものすごく現実的な話だけど(誰でもそうだろうけど)私は、1月24日に、早稲田の新年会の幹事をやる都合上、その日がお通夜になったら困るなあと思っていた。 前回のブログに載せたように、12、13はソフトボール、柔道の試合と続き、15日には予定も午前と夜に入っていた。 カレンダーを眺めながら、単に私にとって都合がいいのか、それともそういう頃合いなのか、「17日くらいだよ」という声が、どこかから降ってきた。 勝手にそう思った、そう願った、感じとった、どういうわけかわからないけど、17日に何かがあると思いながら過ごしていた。 あまりに強く感じられたので、紙にでも記録しようかと思ったけれど、現実化するのも縁起が悪いので、控えた。 すると・・・ 危篤でみんなが集められた時とは外れた形で、14日の午前、名古屋の会社の夫から電話があり、「今、亡くなった」と。 その後、お通夜は16日、お葬式は17日と決まり、結果的に、15日の予定も無事に叶えられ、私にとっては、とてもいいタイミングでのお見送りとなった。 こういうことってありますよね。 タイミングが合う人とは合うし、合わない人とは合わないってこと・・・ 15日の禅ボディワークは、このLove the Momentでも執筆してくださってる、りゅうえいさんの実家のお寺での開催で、ふだんは東京にいるりゅうえいさんが、阪神大震災の慰霊祭に合わせて豊橋に立ち寄った形だったんだけど、同じ曹洞宗のお寺で、ボディワークに入る前に、みんなで般若心経を唱えた。 義父に向けて唱える前に、別の場所で、このタイミングでの般若心経に笑いつつ、すべて私にとってはピタッと当てはまる流れだと思った。 その後、座談会の前においとまし、葬儀場へ直行(夫たちと合流する予定がニアミス)。 湯灌を済ませた義父と、死後初めて会う。 義父には、さりげない死化粧が施されていて、パッと見た印象があまりにきれいで、「わあっ」と、悲しみよりも感動が勝ってしまった。 その反応を素直に葬儀場の担当の方の前で示し、おかげで話が弾み、色んなご葬儀の裏話も聞けて、事前にとても勉強になった。 色々とお話したけれど、印象的だったのは、参列者をお迎えする側の家族や親族の動きに迷いがないと、参列する方も混乱しない、みたいな話。 例えばお焼香の仕方にしても、担当の方が導いてくれて、それに従ってうまく家族が行えば、確かに参列者もうまく準じることができ、場全体がまとまっていく。 実は年末に、近所の方が亡くなり、お通夜に参列したのだけど、その時見た、親族側のみなさんのふるまいや、近所の年上の奥様方3人の、練習したの??って思うほど素晴らしかった「シンクロナイズド焼香」について思い出していた。 そうか、今回は、私もお迎えする側なんだ、と思ったら、出演者として、ひとつのショーや舞台に上がるような気持ちになった。 結婚式に参列し、「ああ、いい結婚式だった」って思うことはよくあるけれど、お葬式だって、「ああ、いいお葬式だった」というのはあり、次男の嫁として、かげながら、そういう場にしたいなあと思った。 私の中で、義父への思いは、納得した形でお別れを迎えていたので、スッキリサッパリした気持ちで、お通夜やお葬式をがんばろうと思った。 (つづく)
by hihararara
| 2014-01-18 10:01
| 家族
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