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「潮風の村から~ある女性医師の軌跡」

 

9月21日、渥美文化会館へドキュメンタリー映画「潮風の村から~ある女性医師の軌跡」を観に行ってきました。知っている方たちも複数登場していました。

この映画について知ったのは、大学もサークルも後輩に当たる那須くんの記事でした。

(中日新聞 2013年8月29日の記事より・・・
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130829/CK2013082902000058.html

これ、とても良い記事で、いずれ消えてしまうのがもったいないので、転載させてもらいます。以前、新聞社に日付と出典載せれば転載大丈夫と伺ったので・・・)

 

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渥美半島から長年、性教育の重要性を発信している田原市の産婦人科医北山郁子さん(87)の歩みをまとめた映画「潮風の村から~ある女性医師の軌跡」が完成した。ドキュメンタリー作家の山上千恵子さん(70)=京都市=が監督を務め、農村で「女性としてのありよう」を模索し続けた北山さんの葛藤や苦悩も丹念に描いている。三十一日開幕の「あいち国際女性映画祭2013」で上映される。

富山市出身の北山さんは、東京女子医学専門学校(現東京女子医大)を卒業後の一九四九(昭和二十四)年、内科医で夫の故吉朗さんが泉村(現田原市江比間町)に開設した診療所に移り住み、自身もそこで内科医として働き始めた。

地元とのつながりはなく、女性の社会進出も盛んではない時代で、孤独感や無力感を味わった。二十代後半から「自分を生かせる仕事がほしい」と考え、名古屋大に通って産婦人科医として必要な資格も取得した。

日々の診療で女性たちと向き合う中で、性の知識不足や女性の人権を軽視する意識が暴力やセクシュアルハラスメントにつながると実感。七〇年代から若者への性教育の普及に力を注いできた。「男女とも互いの体を大事にすることを指導するのが性教育の基本。性イコール人格です」と語る。

ドキュメンタリー作家の山上さんは二年前、知人を介して北山さんを知った。「高齢になった今も、渥美半島から性を通して命を大切にする活動を続ける現役医師の女性として支持されている」と映画にすることを決め、一年半の間に何度も田原市に通ってインタビューを重ねた。患者に寄り添う北山さんの日ごろの姿も撮影した。

北山さんは性教育について「最近でも性を有害なものとして触れない教育現場もあり、どこまでを教えるべきかの線引きが課題」と指摘する。山上さんは「閉鎖的な半島で生きるたくましい女性の生き方に、勇気をもらった私の気持ちを表現した」と話す。

映画は八十四分、カラー。あいち国際女性映画祭では九月六日午前十時から、名古屋市東区のウィルあいち、同月八日午後一時半から設楽町の県奥三河総合センターで上映される。

田原市でも同月二十一日午後七時から、渥美文化会館で上映を予定している。

(那須政治)

 

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この情報を頼りに、絶対観に行こうと思って、実家の母にも声をかけたら、母もこの記事を見て是非行こうとカレンダーに印をつけていた。というわけで、一緒に観賞。

全体通して、北山郁子先生の信念と、チャーミングさが伝わる、とてもいい映画だった。

郁子先生の存在はもちろんずっと知っていた。北山医院は私が通った小学校の近く。

亡くなったダンナさんの吉朗先生は、私が小さい頃、寝たきりのひいおばあちゃんの往診に来てくれていた。水色のワーゲンに乗ってやって来る穏やかな先生。私は先生の往診が楽しみだった。子供心に「外からの風」を感じていたような気がする。

郁子先生について具体的に知ったのは大人になってからだった。

私は、23歳の時、子宮内膜症を患い、それをテーマに処女小説を書いた。東京で暮らして、島根へ移動して、その間に東京女子医大病院、島根医科大学病院で手術を受け(東京から島根に移動した2年間で小説を書き、群像新人文学賞に応募し)、紆余曲折あってヨーロッパを旅して、帰国三日目に、群像編集部から電話があって、最終選考に残ったと知らされた。

そのため、しばらく実家に住みながら小説を書こうと思い、地元でのおもしろい出会いを探す中で、当時ご存命だった杉浦明平さん主宰の読書会に参加するようになった。

NHKで取り上げられて知った会だったが、杉浦明平さんを慕い、尊敬する方々が何人か集まり、まさに明平さんのご自宅で、課題図書を読んで意見を交わし合っていた。お年を召した明平さんが出てくることは私の参加中はなかったけれど、文芸に詳しい方のご厚意で、明平さんにも一度お会いしたことがあった(最終選考前で、小説の題名を聞かれ「チョコレート色のほおずきです」とお答えしたら、「タイトルが悪いなあ~」と言われた思い出:笑)。
ごちゃごちゃ書いたけど、つまり、北山郁子先生もそのお仲間の一人で、お会いすることはなかったけれど、お名前を聞いたり、「海風」という同人誌にも短歌や文章を寄せていた
(読書会主宰の上村さんが「海風」が終了するまで、結婚後も何年も送ってくださっていたので、郁子先生の文章も何度も読ませていただいた。その上村さんにも、映画で久々にお会いできた)。

私のテーマはまさに、子宮の病気や女性や性だったので、郁子先生にも読んでいただこうかと思いつつも、郁子先生の専門分野だからこそ恐縮し、結局、出版後もお送りできずにいた。

そんなことがあったので、お会いしたいけどお会いできずにいた郁子先生の歩みを、映画という形で拝見でき、また、上映後にはご本人ともお話でき、感激でした。

 

映画には、多面的に共感・触発された。

戦争も体験された郁子先生。

印象的だったのは、上映後のトークショーで、監督もポイントとなる場面として挙げていたここ・・・

結婚して間もない頃、吉朗先生とともに、東京でお世話になった方にご馳走していただいた時(まだ食事が配給だった頃に配給外で)、「あなた(郁子さんと結婚して)得したわね~」と言われた吉朗さんが怒ってしまい、それを見て郁子さんも「夫の意に従って生きなければ」と思った。でも、のちにそう思った自分について「あれがまずかった」としみじみと語った場面。

わかるなあと思って、笑いながらも涙が出そうだった。

現代以上に、夫を立てて、夫の意に従う生き方を女性が強いられていた時代。郁子先生がそう思ったのも当然だろうけど、そのために、自分で自分を苦しくさせてしまった。

「自分が暗いから、人にも明るく接することができなかった」

とおっしゃっていた。

やっぱり、私も常々思うけど、まずは妻や母である前に、自分なんだと思う。自分がのびのびと自分を肯定できたら、夫にも子供にも明るく前向きに接することができる。

私は、夫の意に沿うタイプではないけれど、結婚当初の戸惑いは、『赤土に咲くダリア』でも表現した。みんなはそういうものと流せることが流せず、苦しかったし、今もそういう時がある。

横にそれるけど、最近読んだ女性学者の上野千鶴子と湯山玲子の対談本『快楽上等!』で、上野さんが「(フェミニズム研究で)男女平等を目指していたかと思っていたけど、私が求めていたのは「自由」だったんだと気づいた」みたいな部分があり、それにも大いにうなずいた。

全体を通して、郁子先生の歩みは、社会活動も、性教育の普及も、私からすると、ごく自然当然のことで、なぜ叩かれなければならないのだろう、と思うけれど、閉鎖的な渥美半島において、すごくたいへんな思いをされたと思う。

半島の素晴らしさと生き難さは私も生まれ育った分、よくわかるので・・・

冒頭で書いた水色のワーゲンが象徴するように、北山夫妻はハイカラで、敢えて書くならブルジョワで苦がないように感じていたけれど、苦悩の連続だったんだなあと知りました。

お二人が築いてくださったものはとても大きく、半島の(活動によって全国においての)意識を底上げしてくださったと思う。

 

印象的だった言葉「性は人生そのもの」

私もまったくそう思います。

性は人間の中心なのに、タブーとして扱われることにずっと疑問があり、だからこそ私は書き続けています。

 

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上映後のトークショーの時、山上千恵子監督が、「最初に北山先生を紹介された時、お化粧バッチリだったので、偏見を持ってしまった」と言っていて、それも同性としてはわかるなあと思った。

お化粧バッチリ=女性を売りにしているとか、化粧する暇もなく活動に勤しむ女性の方ががんばってる、みたいな空気も確かにある。
でも私は、お化粧バッチリの可愛らしい北山郁子先生(話し方やソプラノの声も素敵)だからこそ、一層素敵と思いました。

化粧っけも色気もなく活動している女性は、ガミガミしてカサカサして見える。

実を言うと、私自身、3.11後の社会活動を始めた時、絶対にカサカサした女に見られたくないと思った。なので、学校給食を放射能汚染から守るための要望書を出しに行った時も、それなりにお洒落して向かいました。

鮮やかめのスカートはいて、首にも赤いシフォンのショール巻いて・・・(その姿で新聞に載ったわけで)。
セルフプロデュースとかイメージ、「人からどう見られるか」というのは、活動に多くの味方をつけたい時は重要です。

自分では自覚してなかったけれど、上述「快楽上等!」の中で、「女装」「ブル転」という単語が出てきて、勝負の場で、敢えて「女装」し、「ブル転」(これ、調べても出てこないけど、ブルジョア転向という意味合いで私は読んだ)することが与える、世間や男たちへの威嚇まではいかないけど、効果的な使い方については、私も実感している。

なので、郁子先生がいつもお化粧をしっかりして、髪の毛も服装も美しくしていることは、彼女の美学であると同時に、理にかなった(本人は自覚しなくても)戦術であるのだ。

この件については、トークショーの時の質疑応答の最後に、郁子先生のお孫さんの女性が、先生の気持ちを代弁してくださった。

「子供の頃、『おばあちゃんはどうしていつもお化粧しているの?』と聞いたら、『産婦人科の先生がきれいにお化粧してなかったら、来てくれた患者さんが元気が出ないでしょう』とのことでした」

(みたいな内容・・・正確ではなくてすみません)

これには会場みんな、大拍手!
たまたま、帰り際、郁子先生にご挨拶した後で、このお孫さんにもお会いできたので、母と一緒になってお孫ちゃんを褒めました。

手を握り合って、おばあちゃんの素晴らしさについて、熱く語った。

 

この日、会場には100名ほどの観客が集まり、女性が多かった。

印象的だったのは、会が終了した後、そこかしこで、女たちの井戸端会議が始まっていたこと。

うちの母も、親戚として抱える老人介護の問題に悩んでおり(祖父母たちをしっかり見送ったのに、まだ本家としてのたいへんさが続いていて)、仕事でお世話になってる女性に悩みを打ち明けていた。

女性たちのおしゃべりが、あちこちで続いている様子を見て、ああ、女たちはこうしてこの半島で(遠方から来ていた方も多かったので、もちろん全国で)の暮らしを乗り越えてきて、今もただなかにあるんだなあと思った。

 

なんだかまとまりないけど、このブログを書く前に、郁子先生にお手紙を書き、先生とお話した時に興味を持ってくださった私の小説2冊も、発送するために梱包の準備中。

遅くなっちゃったけど、私にとって、郁子先生との出会いのタイミングは今だったのかもしれない。

結婚し、子供も生まれ、幸せながらもいつも、夫と子供のことで何らかの悩みを携えている40歳の今。

映画を観て、今だからこそ、感じ得ることのできた気持ち・・・

もともと、小説に限らず、自分の表現活動を通して、人々の固定観念を壊したい、みんなをもっと解放・開放したい、なんて思っているけど、その思いを一層強くしました。

家庭を第一に、ゆっくり色々やっていこうと思います。

 

余談ですが、地元には、高畠郁子さんという日本画家がいらして、展覧会の後、たまたま美術館に電話した時にご本人がいらしたので電話で話せたことがあったけど、トガった活動をしていた時期もあったのに、語り口がやさしくて驚いた。

今回の北山郁子先生にも同じような印象を持った。

お二人はスケール感が重なるのと、同じ郁子というお名前なのもおもしろい。

何より長寿なのが素晴らしい。

 

郁子先生、山上監督、映画に関わったみなみなさま、ありがとうございました。

 

 

☆CBCの取材が入っていたので(イッポウかな?)そのうちテレビでもやると思います。

 

 

 
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by hihararara | 2013-09-23 06:09 | 映画
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