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「おやじの会」飲み!

 

給食の要望書の件で、急にめまぐるしく忙しくなってしまったのだけど、明日提出で、明日はその話題を書きたくなると思うので、慌てて先週金曜に出かけた、校区のおやじの会の飲み会について・・・(もしかしたら読んでくれてるおやじ様もいるかも、なので)

このところ、直感に従って動いたり人とつながったりしていて、それが次のアクションに結びついている。 その流れの中で、迷いなく、校区のおやじたちとも、今後のためにゆるーくつながっておきたい、と思った。

お母さんたちとのつながりはつくりやすいけれど、いざって時は男手が必要なので(今は必要ないけど運動場の除染のイメージ)。

というわけでFBにいる先輩の「友達」つながりで、校区のおやじの会の会長さんにメッセージをお送りし、おやじの会定例会に呼んでいただいた。

その会長さんは、過去にPTAの会長もやっていたので、向こうは私を知らなくとも、こちらからしたら有名人!という感覚だった。

夫の帰宅を待って、夜8時過ぎに校区の市民館での定例会に少し参加した後、場所を移して反省会(飲み会)に突入。ほぼ初めて会うおやじ様9人と、女は私1人(笑)なかなか壮観であったよ!

私が、浜松の給食を守る会の要望書をみなさんに見てもらおうと思いつつ、タイミングを計りかねていた時に、某おやじ様が、原発に関する資料を「これおもしろいから!」と言ってみんなに配り、その関心の温度がうれしかった。

その流れで、前半は、お医者さんや大学教授や助教授といったインテリ路線?と放射能について、作家脳(笑)を駆使して語り合った。教授からは、危機感に乏しい愛知で活動するには①内部被曝の問題 ②瓦礫受け入れ阻止についての2点が共感を呼ぶのではないか、ともっともなアドバイス。おやじの会の中心人物で、この夏には、福島の子供たちをサマーキャンプで受け入れたり、被災地にも炊き出しに行ってきたお医者さんには、「給食についてどう思われますか?」と聞いたら「ぼくは、給食そのものをなくしてしまえばいいと思ってるんです」という新しい視点。それは、学校給食に栄養面で過剰に頼り、料理をしなくなっているお母さんがいることを懸念しての言葉だった。それも確かに、である。そんな風に、男性と話していておもしろいのは、ママ友との間では出てこないような視点での意見が出ることである。さらに、給食への取り組みは、「被災地を孤立させてしまうからなあ」と人道的な意識から、これまたもっともなことを言っていた。

 

~それはわかるんだよ。でも、どうしても今は、食べて応援!ではない事態なので(風評被害ではなく実害というのがあるので)、汚染食材は食べないように応援して、なんとか子供たちを無事に大きく育て、日本のためにがんばってもらいたいと思うのだ。瓦礫にしても食べ物にしても、受け入れて応援した結果、日本全体が総倒れになってしまっては、どうしようもない。守れるべき大地は守り抜いて、日本全体の食料のための生産地としての役目を果たさなければならない(北海道や九州の人たちはすでにそういう意識で結束している)。決して自分たちだけが救われればいいのではなく、その先を見ると、どうしたって、目の前の子供たちや環境を地域の大人が守らなくてはならない。~

 

後半は、席替えして、あんまり細かく書くと人物を特定してしまうので控えるけど、みなさまと楽しくお話した。

そして、最後はおやじ様4人と私で、1時過ぎまでゆるゆると盛り上がる。

たまたま最後のメンバーは、地元の二大工業高校出身の方々で、隣に座った方が、なかなかケンカがお強く、荒れていた頃の某中学の出身だったこともあり、ヤンキー的感性全開(笑)でお話した。このブログでは初めて書くけど、私は中学時代、勉強も運動も一番だったけど、先生に殴られた回数も女子の中では一番多い問題児だったので!!(そもそも、くだらない校則を変えたり、高圧的に締め付ける先生に反抗しまくったり、活動家みたいな芽はじゅうぶんその頃からあったのだ)

お隣のおやじ様、私が最初登場した時、生意気そうな女に見えたようで、「泣かしてやろう」と思ったらしいけど(酔っ払っての言葉です)、おやじ様のルーツと私のふるさとがお隣の地区というご縁で、田舎の同級生みたいに打ち解けて会話できた。恐るべし渥美&ヤンキー魂!!

おもしろかったのは、私たちからしたら、PTA会長なんて、とっても真面目で例えば地元の進学校出身くらいかと思っていたのに、男子ノリ全開の工業高校出身で、私はそういう男の世界、いいなあと思うので、うれしかった。

そして、いかにもPTA会長に適任に見えた人でも(歴代の会長さんお二人いて)、「自分の人生の中でPTA会長をやるなんて0.1%もなかった」とか、挨拶が上手だなあと思っていた人も「みんないっぱいいっぱいですよ」とのことだった。

さらに、最高だったのが、PTA会長をしてから、誰が見てるかわからないので、「赤信号を渡れなくなった」とか「スーパーへカミさんと行ってもカートを持つようになった」とか「袋を二つとも持つようになった」「見切り品を買ってる時に知ってるお母さんに会うと恥ずかしい」「近所のスーパーではなく隣の町内や校区外へ出かけても、誰かに会ってしまう」等々・・・。

最終的には、

「イオン志都呂(←豊橋のお隣の浜松方面)でさえ、お母さんに会っちゃう」

「志都呂まで、気をつけていなくちゃいけない」「志都呂までが校区だ!!」

に、大爆笑でした!!

お父さんたちにはお父さんたちの苦労があるんだなあと思い、たいへん興味深かったし、みなさん可愛かった。

 

おやじの会に参加しているお父さんたちは、みんな愛情深くて柔軟で、うちの夫にはそういう側面が欠けているので(我が子には向けるけど地域となると乏しい)、うらやましかった。

 

帰りは、土砂降りの中、方向違うのに4人のおやじ様たちが送ってくれて申し訳なかった。

まるで罰ゲームのような夜中の大雨の下、初めて飲んだ人たちなのに、部活の先輩みたいな近さを感じた。

自分が年をとったせいかもしれないけれど、この頃、親しくなるオヤジたちについて、決して老けてると思ったことはなく、みんな中学生くらいの少年時代の顔が透けて見えてくる。

今生きていく場所はここなので、人々との広いつながりと同時に、校区のみなさまとのつながりを大切にしたいなあ、心強いおやじたちがいてくれてありがたいなあ、と思った夜でした。

 

 

 

 

 
by hihararara | 2011-10-19 08:10 | 小学校
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